ゆたんぽを抱いて寝る。

ゆたんぽを抱いて寝る。

猫のこと、本のこと、アニメのこと、野球のことetc...思いついたまま、気の向くままに。

ゆたんぽを抱いて寝る。

ラーメンは汁まで飲み干してごちそうさま

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シンプルイズベスト

 

ラーメン一杯400円

炭水化物isGOD。
炭水化物に生かされている筆者です。

仕事場の近くに、安くておいしいラーメン屋さんがあります。
ラーメンの”おいしい”基準って人それぞれだと思うんですが、筆者は断然あっっっっっっっっっっっっっっさりとした醤油ラーメンが好き。
中華そばと言ったほうが正しいのかもしれません。

スープまで全部飲み干してごちそうさまするのがジャスティス。

具材はシンプルにメンマとネギとチャーシューだけあればそれでいい。

そんな筆者の好みを撃ち抜くようなラーメンなんですよね、あそこのお店。
なにより安い。

 

その額なんと一杯400円!

 

ライスを付けても500円! ワンコイン!

 

もうね、大好き。
今度行ったら、給料も入ったし贅沢にチャーハンセット(700円)でも頼みましょうかね。


なんだかんだ今の笑点も好きですよ

最近、昔の笑点の映像をよく見ています。
と言っても大喜利ばかりですが、古いものだと三波伸介さんが司会やってたころの映像なんてのも残ってるものなんですね。30年以上も前の映像をパソコン上で見られるような時代になったのは本当に嬉しい限りです。多くの今は亡き名人達の芸をいつでも見られるわけですから。

筆者が物心ついた時、笑点は先代の圓楽師匠が司会をやられていました。向かって左から小遊三、好楽、木久蔵歌丸、楽太郎、こん平(敬称略)という並び順の時代ですね。
子どものころは歌丸、楽太郎の罵倒合戦が面白いなとか、圓楽師匠を馬面ネタでイジるのが面白いなと思って見ていたんですが、おとなになってから見返すと合間合間にキラリと冴え渡る回答があって、思わず唸ってしまうような時が最高に楽しいです。
落語を聞くようになって、時折登場する落語のネタ(主にサゲの部分)をわざとパクった回答が出たりするとそれにクスッとしたり、当時の時事的な話題を懐かしんだり。

家にテレビが無くなって久しいので最近の笑点はなかなか見られていませんが、昇太師匠の司会が筆者は結構好きです。昔と比較されて色々言う人はいますが、時代の変化に合わせて変わっていく部分、変わらない部分があって、いつ見ても楽しく見られる笑点が筆者は好きです。
いつか公録にも行ってみたいものだし、あの場に出ている名人の芸を身近で見てみたいものだなと、思いながらついに歌丸師匠の落語を生で聞くことは出来なかったのが今でも悔やまれます。

幸いというかなんというかYoutubeで見られます。やはり桂歌丸といえば左甚五郎シリーズより「ねずみ」か「竹の水仙」話を見ていただきたい。落語、いいものですよ。


落語 ねずみ 桂歌丸


落語 竹の水仙 桂歌丸

テーマは洗い物が少ない料理

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おいしかったです

 

スーパー行くと無駄に色々買っちゃう

先日、スーパーに行ったらブリが安く売ってまして。
野菜売り場を見たら大根も安く売ってまして。

 

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もうブリ大根しかないじゃない!

 

ってな感じでブリ大根作って食べました。
子どもの頃は魚より肉!って感じだったんですが、おとなになると不思議と「あぁ、魚おいしい……魚…………」ってなる時あるんですよね。
時間がなくてちょっと味の染み込みが今ひとつかなーとも思ったんですが、食べてみたらちょうどよくて。
たくさん作ったので、そのまま冷ましてお昼に温め直して食べた時が1番美味しかったですね。
このところちょっと自炊をサボっていたんですが、たまに自分で作ると美味しいものですね。

今日もクックパッドとインスタント食品に生かされてます。


夏は野菜がおいしい

真夏の生まれだけど暑いのが苦手なLITさんですやぁやぁ。
夏より冬のほうが好きなんですが、夏の野菜は好きです。
ナスとかトマトとか、そういうあれ。
長茄子一本あればおかずが一品できます。
よくやるのは、切れ目を入れた長茄子をラップで包んでー、レンジでチン。

 

粗熱取ってー

 

そのまま手で剥いてもいいし、包丁で切ってもいいしー

 

そのまま生姜醤油につけて食べてもいいんですが、おすすめは漬け置きにしちゃうやつ。
麺つゆに刻んだ赤唐辛子をお好みの量入れて、ごま油を少し。
茄子を浸して、そのまま冷蔵庫で一晩。

ゴマの風味とピリッと辛いお手軽おかずの出来上がり。

トマトは切ってチーズと一緒に召し上がれ。


あとー……夏といえばあれ、スイカ大好き。

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これはSuica


イカは果物なのか野菜なのかっていう話は二千万年前から無限にされてきた議論なのでこのさい置いておくとして、スイカ大好きすぎてひとりで小玉スイカくらいなら一個まるごと食べられちゃうくらい好き。

4分の1くらいにでっかく切ったスイカにかぶりついて、顔中スイカだらけにしつつ汁ダラダラこぼしながら食べるのが1番おいしいまである。
種とかほら、一緒に飲んじゃうし。
幸い盲腸になったことないし、腹からスイカが生えてきたこともないし。というかあれって結局迷信なんです??

教えてエロい人。

旅はいいねぇ

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元動画↓

 

車載動画を見ていると、人は旅に出たくなる

相変わらずボイロ車載動画を見ながらダラダラと時を過ごすことが多いLITさんデスクリムゾン
不思議なことに、動画を見ていると知らない町を旅したいなと思う時があります。
今行きたいのは、広島。いろんなアニメの聖地になっている広島ですが、たまゆらの聖地になっている竹原には一度行ってみたいなと。

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作中に「ほぼろ」という名前で登場するお好み焼き屋さんの元ネタになった「ほり川」さんには一度行ってみたいものです。もし行く機会に恵まれるなら、たまゆらを再履修してから望みたいですね。

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大久野島にも行ってみたいなぁ。ウサギの島、夢みたいです。

 

追憶旅話を読みました

棺担ぎのクロの外伝作品として発売された「棺担ぎのクロ 追憶旅話」をこの間ようやく読みました。


本編に未収録だったゲーム好きの王様がいる国に行く話と、本編終了後に旅を続けるクロちゃんとセンを描いた話と、描き下ろしのニジュクとサンジュの話。

 

どの話もとても素敵で幸せだったのですが、その中でも強く印象に残ったのは「本編後」のクロちゃんとセンを描いたお話でした。
黒を基調とした旅装束をずっと見てきた筆者でしたが、新しい旅装束はとても”少女らしい”出で立ちで、長く見てきたのに不思議とドキッとするような見た目でした。幼馴染の女の子がある日可愛く着飾ったのを見て恋に落ちるような感覚ってこういうものなのでしょうか。表情も全体的に明るく、123の呪いから解き放たれて気持ちも随分と前向きになったように感じられました。
一方で、変わらないものもちゃんとあって。
相変わらずセンはコウモリで活動していることが多いし、お調子者だし、そんなセンとの関係が変わらず続いているのがとても嬉しかったです。クロやセンの呪いが解けた今、二人が旅を続ける理由。センの昔話も知ることが出来たし、なにより本当に幸せそうにしているクロちゃんが可愛くて、何度も何度もこの話を読み返しています。

 

ニジュクとサンジュの話は、絵本を読んでいるような不思議な感覚になりましたね。本編最後にお月さまになった二人が、世界を旅していろんな物に触れて、それでもちっとも中身は変わってなくて。
満月になればクロちゃんに会える、というところがすごくあったかくて、あぁきゆづきさとこワールドだなぁとほっこりします。

 

併せて、画集も買ってました。
懐かしい昔のイラストから販促漫画などたくさんのクロイラストを見ることが出来て、本当に満足です。
特にきららの表紙絵などは雑誌買ってない筆者としては眼福物ばかりで、買って良かったなと思った次第です。
GA共々、素敵な作品に出会えて本当に良かった。
きゆづきさとこ先生、改めて長期連載お疲れ様でした。

雨の日とカラス

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烏天狗の文ちゃん

 

記録的大雨

九州では50年に一度の豪雨となった先日、九州と正反対のところに位置する筆者のお住いの地域でもそこそこの雨が降りました。だからというわけではないのですが、朝からヤマイさんのrain stops,good-bye歌ってみたを聞いて湿っぽい季節に色を添える、そんな朝のひとときを過ごしつつ仕事場に向かいました。
大変どうでもいい話なのですが、見出しの「記録的大雨」というタイプをミスして「記録的大前」になってしまいました。二十立連続で皆中キメるような天才的大前だったのでしょうか。なんてことを考えてはみたものの、とてもとてもニッチなネタだったので雨と一緒に流してしまいましょう。
お仕事の方は、連休前の忙しさはどこへやら。毎日大合唱している閑古鳥と、窓の外を飛んでいく烏を眺めるだけの日々が続いています。勤労意欲ゼロの筆者なので、これは歓迎こそすれど悲観的になることはありません。おかげで、こうしてブログの記事も書けるわけですから。
筆者の目の前には大きな窓があって、窓から交差点が見えます。大きなトラックが止まっています。はてさて、どこから来てどこへ向かうやら。窓にはたくさん水滴がついていて、何を隠そう筆者はこの光景が大好きです。幻想的というか、非日常的というか、そんなちょっと不思議な感覚に浸れるんですよね。
豪雨に見舞われている地域にお住まいの方。不急の外出は避け、仕事や学校の人は早く帰って万が一に備えましょう。筆者もさっさと帰って猫吸って寝ます。

 

カラスの恩返しはいつになるやら

カラスは頭がいい動物だという話、誰しも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。最近はわかりませんが、筆者が小学校に通っていた頃は教科書にも載っていましたね。なんでも、カラスは2~3歳児くらいの知能が在るとかないとか。
1番有名なのは、クルミを空から地面に落として割るという行為です。地面に落とした衝撃で硬いクルミを割り、中を食べるという非常に頭のいい行為なのですが、時に彼らは車通りの多い道路にクルミを落とし、車に轢かせるという技も使うそうです。
こう書くと狡猾でちょっと怖い動物に思えるのですが、筆者はそんなカラスが愛らしくて好きです。今日もせっせとクルミを地面に落とすカラスを見かけたのですが、クルミが硬いのか高さが足りないのか、何度やってもクルミは割れません。それを拾ってはどこかへ飛び去り、また同じところへ落とす。やっぱり割れないので、咥えて飛び去って、また落とす。でも、割れない。
いくらやっても割れないよとつい声をかけてしまいたくなるような、可愛らしい一面でしたね。みかねて割ってあげようと近づくと、警戒されてクルミを持って逃げてしまうのもまた可愛らしい。しかし、割れないクルミを延々と落とさせるのもなんとも忍びない。そこで、落ちてくるタイミングを待ってクルミの元へ全力ダッシュしました。さながらショットガンタッチのごとく、目標に向かって一直線です。カラスよりも先にクルミにたどり着き、人間の体重のすべてを小さなクルミにかけました。するとクルミはあっさりと割れてしまったのです。そして、無言で立ち去る筆者。カラスが飛んできて、美味しそうにクルミをつついてどこかへ立ち去っていきました。
その様子を遠くで眺めながら、やりきった感に包まれる筆者でしたとさ。
ちなみにその様子を同僚が見ていたらしく、傍目から見たらクルミを全力で割りにいく頭のおかしい人に見えたとのこと。
まあ、あながち間違ってないので良しとしましょうか。

今日の演目「粗忽長屋」

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これは眼鏡長門

 

続報

ネットワーク障害の件、無事に解決しました。

結論から言うと、光回線の終端装置が落ちてました。落ちてたというと大げさですが、要するにACアダプタが抜けていたんですね。なにこのつまんないオチ。

どうせなら凄腕のスーパーハカーに侵入されてましたのほうがオチとしてはパンチが効いてていいなと思ったんですが、得てして世界は面白くない方向に進んでいくものなのです。

 

落語を聞くのが好きです

オチと言えば、職場の人に古典落語粗忽長屋」を聞かせる機会がありました。

といっても筆者は落語なんて出来ませんで、ざっと概要を語って聞かせる程度のことでしたが、ちょっと不思議でシュールなサゲがなんとも面白い演目ですよね。

浅草観音詣でに来た八五郎は、昨晩、身元不明の行き倒れが出た現場に出くわす。役人たちは通行人らに死体を見せ、知り合いを探していた。死体の顔を見た八五郎は、同じ長屋の熊五郎だと言うが、同時に「今朝、体調が悪いと言っていた」というので、周りの人たちは、行き倒れが出たのは昨晩だから人違いだと指摘する。しかし、八五郎聞く耳を持たず、熊五郎本人を連れてくると言って長屋へと引き返す。

長屋へ帰ってきた八五郎は、熊五郎に対し、お前が浅草寺の近くで死んでいたと言う。熊五郎は自分はこの通り生きていると反論するが、八五郎はお前は粗忽者だから死んだことに気づいていないなどと言い返し、最終的に熊五郎は言いくるめられ、自分は死んでしまったと納得する。そして熊五郎は自分の死体を引き取るために、八五郎と共に浅草寺へ向かう。

浅草観音に着いた熊五郎は、死人の顔を改めて間違いなく俺だと言う。周囲の者たちはそんなわけはないと呆れるが、熊五郎八五郎も納得せず、しまいに熊五郎は自らの死体を担いで帰ろうとする。役人たちが止めに入り、喧々諤々の押し問答となる。そしてそのやり取りが佳境に入ったころ、熊五郎は「どうもわからなくなった」とつぶやく。「抱かれているのは確かに俺だが、抱いている俺は一体誰だろう?」

wikiより引用)

 

落語を知らない人にこの噺を教えたんですが、「なんだかシックスセンスみたい」という感想をいただき、これは面白い視点だなと感心した次第です。

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粗忽長屋は結局行き倒れは熊五郎ではなかったが、本人が自分自身を見失っているという点がたしかにシックスセンスのラストに似た在る種の気持ち悪さみたいなものを感じさせるのかもしれません。

 

時は天下泰平の徳川時代。江戸の町の寄せ場はそれはそれは大変な賑わいを見せておりました。小噺を終えた前座がお客に向かって「つぎはお待ちかねうちの師匠の出番です。粗忽長屋という演目なんですがね、お客さんにひとつお願いがありやして。えぇ、どうかこの噺のサゲのことは内緒にして頂ければこれ幸い」なんてことを言って、袖に引っ込みます。

江戸版シックスセンスの前振りは、きっとこんな感じだったのかもしれませんね。

 


【落語の語】粗忽長屋【柳家喬太郎】

小さんじゃなくあえて喬太郎を聞いていただきたいというわがまま。

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