渦巻く砂嵐
どちらの気持ちもわかる
テニスの話題と嵐の話題、どちらを取り上げようかと思いましたが嵐の方にします。
テニスは正直、ルールがよくわかんないんですよね……
一般紙の一面を飾るくらいのニュースだったし速報も出たくらいだから知らない人は居ないと思いますが、嵐が2020年一杯を持って活動休止となるそうです。
リアルタイムでは見ていませんが、会見の様子も見ました。
率直な感想としては、本当に嵐のメンバーは全員しっかりとした大人で、そして頭がいいんだなと。リーダーがしっかりと考えを持っていて、それを周りが汲み取り代弁者のように、しかし自らの言葉でしっかりと話していました。記者の質問にも(一部アレな内容の質問もありましたがそれに賛同する意見が見られなかったので触れません)キチンと答えていましたね。全体を通して悲観的ではなく、キチンとメンバー全員の総意として終始会見を行っていたように感じました。
まだ先のことですが、ひとまずお疲れ様です。
……というニュースを見た職場のアイドルさんにあまり興味がないオバチャンが、「引退するわけじゃないのに悲しいとかロスとか意味わかんなーい」みたいなことを言ってましたが、その言い分は一面的には最もです。オバチャンの考えを否とすることはできません。
彼らは「嵐」としての活動はお休みに入りますが、個々のメンバーはそれぞれ活動し続けます。リーダーは芸術方面に進むらしいのでメディアへの露出は減るかもしれませんが、それでも事務所を辞めるわけではない以上、どこかで見ることがあるかもしれません。悲観的になりすぎる必要ないというオバチャンの考えは、そういう意味では最もな意見と言えます。
一方で、悲しみを隠せないファンの気持ち。筆者はおそらく1曲か2曲くらいしか嵐の歌を歌えない、それも超うろ覚え程度にしか歌えない程度にはファンレベルの低い人間です。なので彼ら彼女らの気持ちを完全には理解できないでしょう。でも、似ている部分で共感することはできます。あらゆるジャンルのオタクがきっと嵐ファンに共感していることでしょう。ライトなオタクも、ディープなオタクも、もちろん筆者も。
あの頃は楽しかったじゃなくて、あの頃も楽しかった。そんな人生は素敵だね
ファンにとって嵐は嵐であってそれ以外の何者でもないのです。何にも代えがたい唯一無二の存在なんです。個々のメンバーが活躍しているのは、それは嬉しいこと。でも、グループでの活動は、また別の話。悲しみの気持ちは、痛いほどわかります。筆者も何度も経験してきましたからね。
ガリれ:お、大好きだったなぁ……とかね。
もちろん、今も大好きだし、それこそ個人個人みんな大好きなんだけど、あのうにうにした空気感とかそれをみんなで見守った時間とか、全部全部楽しかったなぁと、色んなことを思い出します。思い出すと色んなことが蘇ってきて、その時隣にいる誰かとそれを分かち合うことが出来たら、それはまた新しい思い出になっていく。そんな気がするんです。きっと他のジャンルの人も、もちろん嵐のファンも、同じような思いを抱いている。時が経ってから思い出して、懐かしんで、新しい思い出をどんどん増やしていく。
好きになったものが永遠に続くなんてことはありえない。いつか終わりがくる。それは悲しいことだけど、それまでの時間が全部無くなるわけじゃない。好きという気持ちが嘘になるわけじゃない。むしろ、自分という樽で寝かせた大切な思い出は時間と共にどんどん熟成されていって、ふとした瞬間に樽を開けると一気に芳醇な香りがいっぱいに広がってくるんですよ。一人でしっとり酔いしれるもよし、仲間と潰れるまで思い出を飲み明かすもよし。それが新しい素材になっていくような気がします。
何かを好きになるってそういうことなのかなと、今回の発表を聞いて考えました。
天野こずえ先生の作品を読んでからこの記事を書いたせいか、後半やたらと灯里ちゃんメソッドというかアリシアさんっぽさというかぴかりクサいというか、天野せんせちっくな言い回しになってしまった気が。
読み直してみたんだけどこれは…………
って言われちゃいそう。
まぁ、たまにはこういうのもありって事でひとつ。
こういう文章のほうが実は好きだったりします。