これは眼鏡長門
続報
ネットワーク障害の件、無事に解決しました。
結論から言うと、光回線の終端装置が落ちてました。落ちてたというと大げさですが、要するにACアダプタが抜けていたんですね。なにこのつまんないオチ。
どうせなら凄腕のスーパーハカーに侵入されてましたのほうがオチとしてはパンチが効いてていいなと思ったんですが、得てして世界は面白くない方向に進んでいくものなのです。
落語を聞くのが好きです
オチと言えば、職場の人に古典落語「粗忽長屋」を聞かせる機会がありました。
といっても筆者は落語なんて出来ませんで、ざっと概要を語って聞かせる程度のことでしたが、ちょっと不思議でシュールなサゲがなんとも面白い演目ですよね。
浅草観音詣でに来た八五郎は、昨晩、身元不明の行き倒れが出た現場に出くわす。役人たちは通行人らに死体を見せ、知り合いを探していた。死体の顔を見た八五郎は、同じ長屋の熊五郎だと言うが、同時に「今朝、体調が悪いと言っていた」というので、周りの人たちは、行き倒れが出たのは昨晩だから人違いだと指摘する。しかし、八五郎は聞く耳を持たず、熊五郎本人を連れてくると言って長屋へと引き返す。
長屋へ帰ってきた八五郎は、熊五郎に対し、お前が浅草寺の近くで死んでいたと言う。熊五郎は自分はこの通り生きていると反論するが、八五郎はお前は粗忽者だから死んだことに気づいていないなどと言い返し、最終的に熊五郎は言いくるめられ、自分は死んでしまったと納得する。そして熊五郎は自分の死体を引き取るために、八五郎と共に浅草寺へ向かう。
浅草観音に着いた熊五郎は、死人の顔を改めて間違いなく俺だと言う。周囲の者たちはそんなわけはないと呆れるが、熊五郎も八五郎も納得せず、しまいに熊五郎は自らの死体を担いで帰ろうとする。役人たちが止めに入り、喧々諤々の押し問答となる。そしてそのやり取りが佳境に入ったころ、熊五郎は「どうもわからなくなった」とつぶやく。「抱かれているのは確かに俺だが、抱いている俺は一体誰だろう?」
(wikiより引用)
落語を知らない人にこの噺を教えたんですが、「なんだかシックスセンスみたい」という感想をいただき、これは面白い視点だなと感心した次第です。
粗忽長屋は結局行き倒れは熊五郎ではなかったが、本人が自分自身を見失っているという点がたしかにシックスセンスのラストに似た在る種の気持ち悪さみたいなものを感じさせるのかもしれません。
時は天下泰平の徳川時代。江戸の町の寄せ場はそれはそれは大変な賑わいを見せておりました。小噺を終えた前座がお客に向かって「つぎはお待ちかねうちの師匠の出番です。粗忽長屋という演目なんですがね、お客さんにひとつお願いがありやして。えぇ、どうかこの噺のサゲのことは内緒にして頂ければこれ幸い」なんてことを言って、袖に引っ込みます。
江戸版シックスセンスの前振りは、きっとこんな感じだったのかもしれませんね。
小さんじゃなくあえて喬太郎を聞いていただきたいというわがまま。