たまにイケメンに写る
些細なことに幸せを感じる瞬間
この前、電車の窓から外を見たときのこと。
高層ビルなんてない、どこにでもある田舎の風景。見慣れた景色の中に、ひとつだけ別世界が広がっているのを見つけた。
窓枠で切り取った世界は、綺麗なグラデーションを描いていた。
ちょうど夕暮れ時の時間帯で、地平線の向こう側に太陽が沈もうとしていた。最近のスマホは便利なもので、日の入りの時間を教えてくれる。日の入りまであと10分ちょっと。
青が徐々に濃くなっていって、次第に茜色へと移り変わっていく、自然が作り出した幻想的な光景。それがこの上なくきれいに見えて、その瞬間今日一日がなんだかとてもイイ日になったような気がした。延長11回表、打者三巡一挙11得点の猛攻で大逆転劇、みたいなオーバーキル感。
すっかり気を良くしたので、いつも1本と決めている猫のおやつを2本あげることにした。幸せは分け合おうと、なんとなくそんなことを思った。
家に帰る理由
それから数時間後。すっかり日も暮れた、某県某市の賃貸アパート。
筆者が家に帰ると、ドアの向こうから猫がニャアニャア呼んでいる。それが飼い主の帰宅を喜んでいるのか、単にちゅ~るが貰える嬉しさからなのかわからないが、筆者は楽観思考のプロなので前者だと決めつけている。
ドアを開けると、猫はこちらを見上げながら何かを必死に訴えるように鳴き続ける。
ただいまを言うのも早々に、お皿にちゅ~るをひねり出し、猫が猛烈な勢いで皿を舐め回している間に手を洗いうがいをし、洗濯機に脱いだ衣服を乱暴に放り投げる。部屋着に着替えるころには、猫の撫でろ撫でろ攻撃が待っているので、思う存分撫で回してやる。
猫が満足する頃には、帰ってから時計の針が半周ほどしていることもザラではない。
そんな生活をはじめて、かれこれもう数年。
不思議なことに、どんなに疲れて帰っても猫の鳴き声を聞くだけでどこからともなく元気が戻ってくる。アニマルセラピーというのを信じるわけではないが、実際猫エンジンには癒やし効果があるとかないとか、そういう情報をどこかで見た気がする。筆者は都合のいいことだけ信じて生きてきたので、これは信じることにした。
大袈裟な物言いかもしれないが、猫がいるから毎日家に帰ろうっていう気持ちになってるのかもしれない。家に帰れば、疲れなんて忘れられるってわかってるから。実際どれだけクタクタになっていても、家に帰って猫の声を聞いて猫をモフれば一日の疲れがぶっ飛ぶんだから仕方ない。なにか危ない成分でも出ているんじゃないかとたまに思うが、今のところ結婚相手に恵まれないのとお金がちっとも貯まらない以外の不具合はないので、良しとしよう。
猫は、今日も筆者がブログを書くのを邪魔する位置で寝そべっている。
譲渡会で一目惚れした”ブサカワ”猫は、あの日と変わらず世界一可愛い顔で幸せそうにイビキをかいている。
何度でも言おう。
猫はいいぞ。