ゆたんぽを抱いて寝る。

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猫のこと、本のこと、アニメのこと、野球のことetc...思いついたまま、気の向くままに。

ゆたんぽを抱いて寝る。

ひとにやさしく

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ドラマは一切関係ない記事です

 

気が抜けない世の中になったもんだ

炎上

もうすっかり一般的になった言葉ですね。いやまぁもともと言葉としてはありましたけど、SNSやらなにやらが炎上する方の炎上ね。正直ね、鈴木亜美とか辻希美はかわいそうだと思うんですよ。


今日は天気がいい、って書いたら「九州で大雨なんですよ!!!!」みたいな豪雨ばりのリプライが雨あられのごとく飛んできてたちまち炎上しちゃうっていうんですから。(雨なのに炎上とはこれいかに)


もうこんなのなにやったってダメじゃんみたいな。

誰の目から見ても言いがかりじゃんね、これ。どっかで見たんですけど、バズったツイートはRTの数が1,000を超えたあたりからクソリプが飛んでき始める、っていう話。こうなってくると本当にただただ叩きたいだけの人が一定数いるんだなって思います。有名人に噛みつかないと死んじゃう病の人なんでしょうかね。クソリプ君が何を考えているかわかりませんが、病気の人なら優しくしなきゃいけないですね。

 


そう、優しくブロックです。

 

優しくするのは優しくしてほしいから

炎上もそうなんですが、なんだか生きるのが大変な世の中になったなぁと最近思います。これは筆者がおとなになったからそう感じるのか、あるいは現代社会というものの性質なのか、果たしてそれをこの場で論じるのはやめておきます。それだけでひとつ記事ができてしまいますので。ここではひとまず、現代社会が昔に比べて生きにくい世の中になったから、という仮定で話を進めたいと思います。

最近殊に感じるのは、失敗の許されない世の中だなぁということ。ちょっと誤った発言をすれば言葉が矢のように飛び交ってきて、全身が穴だらけになるまで撃ち抜かれかねないです。矢は週刊誌のような大衆紙だけにとどまらず、個人のSNSやブログからも飛んできます。個人の力は波及力という面で時に数千部単位で刷られ流通に乗っている週刊誌よりも大きな力を持つ時があります。すると、元々一本だった矢が2本になり10本になり、1万本を超える矢がたったひとつの失言に向かって飛んできます。中には、隣の人が弓を引いているから理由もわからず便乗して、という人もいる始末です。

そうやって矢の標的になってしまった人は、全身から血を流し肉塊となるまで身体を引き裂かれ、舞台から強制的に退場することを余儀なくされてしまうのです。

とはいえ、ネットという世界に目を向けてみると、この”炎上”と呼ばれる現象は別段ここ数年で急激に発生したことではありません。Window95以降、インターネットがパーソナルなものになっていく過程においてこのような”炎上”は度々見られました。匿名掲示板の普及もありましたし。というかそもそも炎上という表現自体ネット発みたいなところもありましたしね。


ところがどっこい。個人のHPが個人のブログになり個人のTwitterになっていったことで、インターネットという一部の人達に限られ隔離されていたツールが、一気にオフラインとの境界を曖昧にしていきました。すると、今までも大きな影響力を持っていた個人の発言が、更に勢いを持つようになりました。今までオンライン上で個人に対する攻撃の手段を持たなかった人たちが、武器を手にするようになったのです。そして攻撃の的は失言や問題行動に留まらず、パーソナルな趣味や好みにまで及ぶようになりました。中には、すでに述べた通り面白可笑しく便乗して叩く人や、とにかく噛みつかないと気が済まない人たちも居ます。そうやって攻撃にさらされて退場を余儀なくされた人たちを、筆者はたくさん見てきました。


ちょっとした失敗、ちょっとしたミスで命まで刈り取られる、そんな世の中にいつの間にかなったような気がします。筆者としては、些細な過ちはもっと寛容になろうよ、と思うんですがなかなかそれを許せない人が多いなっていう印象です。こう言うと怒られそうですが、なんだか余裕ないんですかね。自分に無関係なところは無関心でいろとは言いませんが、実害を被ってないのにまるで自分が被害者であるような口ぶりで食って掛かるの、せめてやめませんか? 正義の味方を気取ってるのか人の言葉を借りていいことした気分に浸ってるのかわかりませんが、あんまり見ていてカッコよくはないですよ。

ちょっとのミスは、笑って許してあげられる世の中の方が好きですね。少なくとも、自分がやらかしたときに笑って許してほしいので。自分には基本的に優しいLITさんでしたとさ。

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