この人はガチ勢じゃなくガバ勢
ライブレポロス
5日間に及んだライブレポが、昨日無事に終わりを迎えた。ここまで長期シリーズになったのは6月に行った北海道旅行記以来なのだが、あちらは帰宅したその日に全部書き上げたもの。対して今回の記事は仕事を毎日ちょっとずつ書いては投稿してを繰り返していたため、気分的にはライブの延長戦が1週間続いたような、そんな不思議な感覚に陥っている。
レポを書く時は決まって頭の中に記録していた映像を何回も流しては止め、止めては流しを繰り返す作業を行っている。気持ち的には、1週間ずっと吉祥寺ROCK JOINT GBで同じライブを見続けているようなものだ。だからだろうか、今朝は妙に身体がダルいような、前日までの疲労が抜けきらないような不思議な感覚がした。まるで、昨日ライブを見てきたような、そんな錯覚すら覚える。
これを筆者は、便宜上ライブレポロスと呼ぶことにする。
この不思議な”ライブレポロス”を解消するためにどうしたらいいか。それはきっと、他の参加者の感想や熱のこもったレポを読み、CDを聴き、再び炉に火を継ぎ足し続けるより他にはないのだろう。同時に、筆者が成すべきことはひとつ。この記憶を記録として残すことだ。そして昨日、あの日目に焼き付け耳に残した感動を、レポという形で可能な限り残すことは出来た。記事に込めた情熱の火は決して消えることはない。いずれ時が経ち記憶が風化したとしても、レポを読めば再び記憶と情熱の火は興ると筆者は信じている。
レシートひとつでも全部とっとけ。それがいつか宝になる
今回ライブに参加するにあたり、筆者は懐かしい”お宝”を持っていった。過去2回参加したアンプラのパンフや半券、その時もらったポストカード、Re:na.netライブの半券など。数は10点にも満たないほどであったが、開く度にライブの記憶や前後の思い出が蘇ってくる。
わざわざ荷物を増やしてまで持っていった理由は、実は全然大したことはなくて。
自慢。
そう、ただ自慢したかっただけなのだ。レアカードを引いた子どもみたいに、もう世界に何枚現存しているかわからないライブグッズや普通なら処分してしまうであろう半券を、その価値がわかる人たちやあの時ステージに立っていた人たちに見せたいという衝動が抑えられなかった。きっと驚くだろうし、きっとパンフを見れば筆者と同じように当時のことを思い出してくれるだろう。こっそりと、そんな思惑もあった。
かくして、ライブ当日。
筆者はこれみよがしに見せて回った。それはもう、見せびらかした。
筆者が参加できなかった川崎アンプラに参加した人は、代わりに川崎アンプラの思い出を筆者に聞かせてくれた。その話は大変貴重で、楽しくて、同時にすごいことだなって思った。だって、もう11年前のことなんだよ。昨日の晩ごはんだって下手すれば覚えてないくらいだっていうのに、11年前のライブに参加した思い出とか、ライブに至るまでの苦労とか、経緯とか、それこそセトリとか、そんな話が湯水のように溢れてくる。筆者なんてパンフをみてようやくセトリが思い出されるというのに、まったくガチ勢っていうのは凄いものだね、ほんと。
会場では終演後にRe:さんやJさんにもパンフを見せた。Jさんとの会話についてはレポに記載しているので割愛するが、Re:さんもアンプラの半券やパンフをみて大変懐かしがっていた。筆者もパンフを見る度思い出すし、寒い寒い札幌の今は無きヤマハアベニューホールの外で握手して、送り出しをしてもらったことは今でも覚えている。
残念ながら社長には見せ損ねてしまった。社長のことだから、きっと筆者よりももっとたくさんのことを覚えているに違いない。
これは本人に許可を得ていないので詳しいことは伏せるが、びっくりしたのは筆者に輪をかけてとんでもないグッズを持ち続けてる人が居たってこと。いやまぁ前述の川崎アンプラ参加したっていうその人なんだけど。そんなグッズがあったことすら初めて知ったし、なんだったらそんな(と言ったら失礼か……)グッズを今尚大事に持ち続けているっていうことが本当にすごいなって思った。その事実が巡り巡って12年越しに本人たちに返っていくのを目の当たりにした衝撃は、言葉では上手く言い表せないくらいだった。
打ち上げ会場でも、それはもう見せびらかした。下手すれば干支が一回りくらいする程様々な年齢層が集まる会場。酔って勢いづいたのもあるが、パンフを見ながら「当時」を知らない若い子達に「当時」の話をするのは、正直な話たまらなく気持ちが良かった。若い子の知らない昔話ばかりするような大人にはなりたくないって昔は思ってたのに、気が付いたら「する側」になっていたことが少し恥ずかしかったけど、それ以上に楽しかった。
パンフレットやサイン入りのCDくらいなら大事に保管していてもおかしくないが、よもや半券まで後生大事に保管しておいたのは自分でも驚きだった。でも、時が経てばちゃんと”お宝”になるんだということがわかった。物にはそれに付随した思い出がきっとついてまわる。半券を見れば当時一緒に列に並んだ人のことや、マイナス二桁の中駅まで歩いたことも思い出せる。刺すような痛みにも似た空気の冷たさまで手にとるように思い出せる。そして、それが10年経ったら飲み会のネタになる。筆者は、そのことに12年経って気が付いた。
歌ってみたに限った話ではない。どんなジャンルの趣味であっても、買ったもの、貰ったものはどんな些細なものでもいいから全部全てまるっと空き箱にでも入れてしまっておくと、後々になってそれが本当の宝物になる時が来るかもしれない。これはさしずめ、12年歌ってみたというジャンルの隅っこで生きてきた人間からの、ささやかで偉そうな助言である。
覚えてることは全部伝えていこう
パンフの中に今はレジェンドみたいな存在になってる歌い手の名前を見つけて目を白黒させている人がいたんだけど、それを見て「あぁ、このために大事にとっておいたのかもしれない」って思った。
手前味噌ながら、どんなジャンルであっても「始まり」を知っている人がいるっていうのはすごく強いことだと思う。それは、時代とともに色んなものが変わっていったとしても、「始まり」の人たちが目指したものや抱いていたものを見て、聞いて、知っている人がいれば何があってもちゃんと「戻ってこれる」のだと筆者が信じているからだ。
今やセミプロやガチプロ、大御所シンガーまでもが参入している歌ってみたという巨大なジャンル。だけど、その始まりは全然輝かしいものでも美しいものでもなくて、もっとドロドロでギスギスで非難と罵声の飛び交う殺伐とした場所だった。少しでも声が大きければすぐに非難の矢が飛んでくる。それでも、思うところはみんなひとつだった。なんてことはない、みんな歌が好きだった。好きな歌を好きなように歌うことが楽しくて、楽しすぎてうっかりネットで全世界に公開してしまって、恥ずかしいから顔も名前も素性も全部内緒で。そしたらそれを面白いと思う人達が出てきて、後を追う人も現れて、誰かが勇気を持って「ライブをやろう」って言い出して、そこでまた大きく叩かれて。耐えかねて去っていく人も居た。でも、辞めない人も居た。思いはみんな一緒で、とにかく「自分が楽しいと思うことを全力でやる」だった。
そういう人達が先駆者として道を切り開いてくれて、その道を後の人達が歩いていって。同じ道を歩く人達だから、みんな根っこの思いは同じなんだよね。だから、どんなに時が流れてかつてのニコニコ系イベントから大きく様変わりしたイベントが多くなっても、ひょんなことからニコ同とかちゃんげろソニックみたいなイベントが生まれてくるんだよ。それはなにもイベントを主催する側だけじゃ生まれなくて。同じように「作り手も受けても関係ない。みんながこのイベントの参加者だ!」っていう気持ちを持った人達が受け手側にもいないと決して生まれてこない。
主催者側だって不安なんだ。その最たる例がニコ同じゃないか。あれだけの歌ってみたレジェンドをこれでもかと並べておきながら、運営が用意した会場は吉祥寺クラブSEATA。キャパ500だったんだ。それでも”読めなかった”気持ちは筆者だって痛いほどわかる。だって、筆者だって500のハコと聞いて抽選(形式上)みたいなものだってナメてたし、心の中ではそのくらい当時の歌ってみた界隈の雰囲気が好きだった人達の情熱の炎なんて下火だと思ってた。ところが蓋を開けたらあの現実である。
やっぱりね、「始まり」を知ってる人達って強いなってあの時思った。今も思ってる。「始まり」を知ってるからこそいつだって「戻ってこれる」し、その人達が参加できなかった、あるいは参加を見送った、もしくはあのメンバーを誰一人として知らない若い歌ってみた好きの人に語って聞かせ、彼らが再び、あるいは初めて「始まり」に触れることでちゃんと「始まり」が継承されていく。たぶん、筆者の知らないところでそうやって受け継がれてきたからこそ12年経ってもまだまだニコニコで歌ってみたやるぞって言ってくれる人達が居て、その人達を追いかけてる人達が居続けるんだと思う。
これからも書ける限りレポは書くよ。だから少しだけ手伝ってほしい
なんでもかんでも原点回帰がいいなんて言うつもりはない。懐古主義に徹して今をないがしろにしろなんてことを言うつもりもない。だけど、どうしても1番時間があって1番無敵感が強くて1番ムチャクチャできた時間はどこかと言われれば、間違いなく12年前、頑張っても9年くらい前までなんだ。なかなかどうして新しいボカロソングや新進気鋭の歌い手をチェックしていい意味で彼らのオタクになれるかと言われれば、正直難しいと思う。12年前は学生だった筆者も、今は30代社畜おじさんだ。昔と同じようにというわけにはいかない。
だから、この記事をここまで読んでくれた人にこの場を借りてお願いがある。
今、あなたが大好きでその人のためなら時間もカネも何もかもぶん投げて追いかけ続けたいという歌い手が居たら、全力で応援してほしい。未成年で遠征が難しいなら親を説得して親連れで遠征したっていい。1曲でも参加してる楽曲があると知ったらそのCDを全部買い漁るくらいやったっていい。そしてそこで得たもの、体験したもの、触れたものをなにかの形で残してほしい。今はTwitterやInstagramなど気軽に思い出を残せるサービスが無限にある。人に公開するのが恥ずかしいならメモ帳に箇条書きするだけでもいい。そしてなにかのきっかけでそれを誰かに見せたくなったら、スクショを撮ってSNSにアップすればいい。あなたが見て、聞いて、触れて感じた記憶や感情はその瞬間に記録となって未来永劫残ることになる。5年後、10年後にふと「あの時のあのイベントどんなだっけな」と振り返る最高の宝物になってるはずだから。
あと、これは10年以上文章を書くという趣味をしてきたから自信を持って言えるんだけど、自分が昔書いた文章って驚くくらいこっ恥ずかしかったりするよ。これはホント。自分でも覚えてないくらい恥ずかしいことを書いてたりするから。でも、それでもいいと思うんだ。大好きな歌い手(JK)と即売会で会って話せたことが嬉しすぎて「○○タンめがっさかわいかった肌撫で回してクンカクンカスーハースーハーしたかったお( ^ω^)」とか書いた日記が見つかっても全然いいのだ(フィクションです)。
そして、あなたが全力で推しているその誰かさんが5年後、10年後も活動を続けていたとして、その時あなたがまだその誰かを心の底から応援していたとして、運良く間近で話せる機会が訪れたら(これが全部揃うってホントに奇跡だと思うよ)、これみよがしに当時のパンフやサインの入ったポスター、当時のライブレポなんかを見せびらかしてほしい。嫌な気持ちになる人なんて居ないはずだと筆者は信じている。
書いたとおり、筆者は時間的体力的にたくさんのイベントに行けるわけじゃない。その分自分が参加したイベントのことは可能な限り残していきたいと思うが、同時に自分が行けなかったイベントの様子も知りたい。それはどう頑張っても自分にはできないことだけど、誰かが感想を書いてくれたりレポを上げてくれたりすれば、その文章から雰囲気や出来事、熱量を擬似的に体験できるのだ。
長く書きすぎてしまったのでこのあたりで筆を置くが、これだけ覚えて帰ってほしい。これが今の筆者の願いである。
お前のライブレポ待ってるぜ!
じゃあ、明日からは本当にいつもの感じに戻るんで。