ゆたんぽを抱いて寝る。

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猫のこと、本のこと、アニメのこと、野球のことetc...思いついたまま、気の向くままに。

ゆたんぽを抱いて寝る。

僕と先輩と中華鍋

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毎日活躍してくれてます

 

学生の頃は実はあんまり自炊なんてしなかった

北海道で過ごす2度目の夏も終わりに差し掛かったある日のこと。

「よしLIT、中華鍋買いに行くぞ中華鍋」

物で溢れかえったサークル室でPCを前に絶賛レポート中だった僕を呼ぶのは、大学に入学したときからずっと世話になっているひとつ上の先輩だった。168センチの僕よりも少し背は低い、だけど柔道有段者とひと目で分かるガッチリとした体格の先輩だ。入学直後の希望者で行くバスツアーで一緒の班だったのもあって気が付いたらサークルに入っていた僕は、結局卒業のその日まで先輩に厄介になることになるのだが、それはまた別の話。

「中華鍋、ですか?」

正直、気乗りはしなかった。なにしろその頃の僕ときたら、料理なんてものは気まぐれでやるものという存在。それも、突然「ビーフシチューが食べたい!」なんて言って材料一式買って来たはいいもののビーフシチューを作って満足してしまい、中途半端に残った野菜やら肉やらを冷蔵庫の中で新たな生物に生まれ変わらせることがしばしばあったくらいには、料理をしない学生だった。

そんな僕が中華鍋なんて持っていたところで宝の持ち腐れもいいところだろう。

「なんでまた急に中華鍋なんですか?」

先輩はいつも突然なにかを言い出す。そしていつも僕をそれに付き合わせる。「LITは釣りしたことあるか?」と聞いてきたその2時間後にホームセンターで500円の釣り竿を買い、さらにその1時間後に先輩のアパートで作ったこともない釣りの仕掛け作りをしていた時は、さすがに自分を疑ったものだ。

この日も、そんな突然の思いつきだった。

僕の言葉など意に介さないのか、先輩は興奮気味にまくしたてる。

「中華鍋はすごい。中華鍋ひとつあれば大抵の料理が出来るんだぞ。LITも自炊するなら中華鍋をひとつくらい持っておいて損はない。だから買いに行こう」

『だから』の意味がわからないし自炊なんて殆どやらないに等しいのだが、まぁせっかくの誘いなので断るのも忍びない。上下関係なんてなかったような先輩後輩の関係だったので、これは単純に先輩の好意を無下にするのがなんか嫌だったからという、ただそれだけの理由で僕は先輩と一緒に近くの金物屋に向かった。

 

訂正。

全然近くじゃなかった。チャリで30分も掛かるような場所だった。そうだ、先輩はこういう人だったということを僕はすっかり忘れていた。「美味いラーメン屋があるから食いに行こうぜ」と言われてホイホイ着いてきた僕が、真夏にチャリを1時間漕ぎ続けて汗だくになった後にグツグツに煮えたぎった味噌ラーメンを食べる羽目になったあの日のことを僕はすっかり忘れていたのだ。

僕は汗腺がぶっ壊れてるんじゃないかというくらい汗かきな人間だ。ちょっと動くとすぐに汗だくになる。例によって30分チャリを漕ぎ続けた僕は全身に玉のような汗をまとわりつかせながら、ベタつく身体を引きずって金物屋へと足を踏み入れる。

「こういう店来たことないっしょ?」

狭い通路の両端にはずらりと包丁やら鍋やら見たこともないような調理器具やらが並んでいる。呆気にとられている僕に、先輩は常連の雰囲気をまとわせながら近づいてきた。

「初めてですね。先輩はよく来るんですか?」

「俺も初めて入った」

先輩はサラッと言った。常連の雰囲気なんて嘘っぱちだった。

「えっ、じゃあなんでこの店にしようって言ったんですか」

「前から気になってたんだよ。でもほら、1人じゃ入りづらいっしょ。だからLITを連れてきたってわけ」

先輩はいたずらっぽく笑う。

聞く人が聞いたら怒り出しそうな理由だったが、僕にとってこれは日常風景のひとつだ。先輩が思いつきで僕を連れ回し、僕は言われるがままにホイホイついて歩く。言ってみれば、これが僕らのおよそ大学生とは思えないほど健全でお金のかからない遊びだったのだ。

「はぁ、そんなところだろうと思いましたよ」

小さく嘆息しつつ、僕は店の中を歩いて回ることにした。

 

所狭しと、それでいて乱雑に並べられた商品。中でも目を引くのは、およそ本数なんて数えられないほどの包丁だった。現在に至るまで僕は文化包丁一本であらゆる料理を手掛けているわけだが、そこには出刃包丁から果物ナイフから、果てはちょっとした斬魄刀かって程に鋭利で大きな包丁までが売られていた。僕が仮に強盗に入るとしても絶対にこの店だけは避けようと心に誓った。

「LIT、ちょっとこの包丁見てみ」

先輩に言われるがままに手に取ったそれは、なんだか読めない銘が彫られた柳刃包丁だった。思った以上にずしりと重い。そして何より驚いたのは、

「に、28,000円っ!?」

この世の中に一本28,000円の包丁が存在するなんてちっとも知らなかった。今だったらモエネク1本より高いじゃんみたいな例えをするのだが、当時はたぶんエロゲーがフルプライスで3本は買えるな……とかそんなことを思ってた気がする。思えば、僕のエロゲー全盛期は間違いなくあの頃だった。高校生の頃初めてプレイしたFateの話は……やめておこう。色々まずい。主に年齢的な問題が。

「で、LITはどの包丁買うの?」

先輩の言葉は今まさに手にしている高級柳刃包丁くらい切れ味バツグンだった。

「買うわけないじゃないですか。金のない大学生に買える金額じゃないですって」

「一本くらいいい包丁持ってると便利だぞ? 魚下ろすときとか」

「普通の大学生はそんな頻繁に魚下ろさないので心配には及びません――ってそうじゃなくて。中華鍋ですよ中華鍋」

僕は柳刃包丁を丁寧に元あった場所に戻すと、手近なところにあった中華鍋を手に取った。当たり前だが、ずしりと重い。普段料理で使っているフライパンや片手鍋とは比べ物にならないくらい重い。料理番組で中華の鉄人みたいな人がこれを勢いよく振っている映像が僕の知っている中華鍋知識の全てだった。これがフライパンとどう違うのかも分かってない。

「お、なんだなんだ買う気満々じゃないか」

先輩はあれこれ手にとって重さや大きさを確かめている。そしてその中の一つを僕に手渡してきた。

「これにしよう」

フライパンより一回りくらい大きな直径で、深すぎず浅すぎないちょうど扱いやすい深さ。金属の鍋から木製の持ち手が伸びていて、これなら持ち手が熱くなることもないだろう。

ここまで来ると、僕もなんだか既に購入意欲がメリメリと湧いてきていた。不思議なもので、あれだけ二の足を踏んでいたのが嘘みたいだ。

「それじゃ、買ってきます」

「おう、行って来い」

ワクワクしながらレジへと向かう。薄暗く狭い通路を抜けた先には使い古されたレジと、同じくらい年季の入った店主の姿があった。僕に気づいた店主は新聞から顔を上げると不思議そうに僕の顔を見上げた。僕みたいな学生が来るのは珍しいのだろうか。

しかし、今の僕はそんなことではめげない。なにしろ、生まれてはじめて中華鍋を手にする記念すべき日なのだ。

「これください」

カウンターに中華鍋を置きつつ財布を取り出し、

「19,800円に――」

「やっぱやめます」

危うく店の商品で先輩をぶん殴るところだった。後ろを見たら先輩が必死に笑いをこらえていた。

「悪い悪い。ほんとはこっちね」

先輩は見た目はほとんど一緒の中華鍋をカウンターに置き、代わりに19,800円の中華鍋を持って店の奥に消えていった。まったく、なんてことをしてくれる。

「えっと……これ、おいくらですか?」

「3,980円だけど、お兄ちゃんこれ買うのかい」

よく見たら裏に値札シールが貼ってあった。そして店主は訝しげに僕を見た。そりゃあそうだろう。冷やかしだと思われても仕方ない。実際、僕が想像したよりも少し高い値段だった。僕は一瞬だけ考えて、

「ください」

千円札を4枚カウンターに置いた。我が家に中華鍋が新しく加わった。

余談だが、チャリのかごに中華鍋をぶっ刺して爆走する大学生の姿は、それはそれは滑稽だったと思う。まぁ、健全な大学生の姿ということで一つお許し願いたい。

 

今ではすっかり我が家のメイン武器です

さて、それから中華鍋はどうなったかというと……

正直に白状すれば、学生時代はほぼほぼ使われることがなかった。元々料理なんざほとんどやらない自堕落な大学生である。中華鍋ひとつ買ったところで急に料理に目覚めるなんて漫画みたいなことがあるはずもなく、大学生のお小遣い事情からして決して安くない買い物だった中華鍋は、陰日向で数年間過ごすこととなる。

それから更に月日は流れ、社会人になった僕はある日中華鍋のことを思い出した。ちょうどYoutubeで中華料理のチャンネルを見ていたからだろう。僕も華麗な中華鍋捌きを会得してチャイナ服の美少女から羨望の眼差しで見られたい。そんなことを思い、引っ越し荷物の奥底に眠っていた中華鍋を引っ張り出してきた。

驚くことに、長い間使われていなかったにも関わらず中華鍋は僅かにサビが浮いているだけで、全く問題ない状態で保管されていた。なんだこいつ伝説の剣か。

試しにチャーハンでも作ってみようと思い中華鍋を業火で温め、湯気が出たのを確認してから油を一回し。いい感じに油が温まったら溶き卵を入れ、間髪入れずご飯を投入。動画の見様見真似でお玉を使いながらまんべんなく油とご飯を絡め、さっと調味料を加え、いい感じに味が行き渡ったら一気に鍋を振る。

ここでご飯をぶちまけるようなヘマはしない。それどころか、中華鍋はまるで誂えたように僕の思い通りに動く。これは気持ちがいい。そうやって出来たチャーハンの美味しいことよ。これはマジ美味い。

それからというもの、僕は狂ったように中華鍋を使い倒した。炒めものはもちろん揚げ物や煮物にも中華鍋を使ったし、ラーメンを茹でるのにも使った。そこでわかったことがある。中華鍋、圧倒的に火の回りが早いのだ。だからお湯を沸かすのも短時間で済むし、野菜炒めも水分が素早く飛ぶので野菜のシャキシャキ感が残っていてとても良い。今ではすっかり我が家の主戦力として日々炒めたり似たりお湯を沸かしたりの大活躍だ。大谷翔平が二刀流で騒がれたが、ウチの中華鍋は四刀流くらいは平気でこなす。それも毎日先発から完投だ。

あの日先輩が言った言葉を思い出す。

「中華鍋はすごい。中華鍋ひとつあれば大抵の料理が出来るんだぞ。LITも自炊するなら中華鍋をひとつくらい持っておいて損はない」

あの言葉の意味が、長い時を経てようやくわかった気がした。

一人暮らし諸君。中華鍋はいいぞ。

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