ゆたんぽを抱いて寝る。

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猫のこと、本のこと、アニメのこと、野球のことetc...思いついたまま、気の向くままに。

ゆたんぽを抱いて寝る。

承認欲求モンスターに溢れた世界に流されず生きてゆきたい

承認欲求モンスターっていう語呂めっちゃ使いやすくていいよね

 

時間も経ってブームも落ち着いたので、インターネットの馬鹿共の話をしたい

2月に入ってから、寿司屋で醤油を舐めるだの人の寿司をレーンから食べるだの牛丼屋で紅生姜を直箸で食べるだの、馬鹿の愚行が止まらない。違う。正確には、こういう馬鹿は昔から一定数いたし、たぶんちゃんと統計を取ればこの手の馬鹿はむしろ減っているんだと思う。20年前に比べて治安は良くなったし、放置自転車なんてほぼ無くなったし歩道にポイ捨てされたゴミもグッと減ったように思う。

じゃあなぜ、こんなにも馬鹿が表面化するのか。答えは単純で、馬鹿がインターネットと繋がってしまったからだ。もっと正確に言うならば、馬鹿にも扱えるくらいインターネットが手軽で身近なものになってしまったからだ。馬鹿にインターネットを与えるなと言うつもりはないしむしろああいう馬鹿は淘汰されて然るべきだと思っているのだけれど、結局のところ想像力が欠如しているという一言に尽きるのだと思う。

飲食店の醤油差しを舐める、他人が頼んだ寿司に山葵を仕込むという行為が社会的に褒められた行為でないことは火を見るより明らかなことで、それをあまつさえ動画として撮影した上によもやインターネット上に公開する。どうなるかなんて考えれば小学生でも分かることを、馬鹿は考えない。想像力が欠如しているのか、そもそも想像することを放棄しているのか、もしくは想像した上で尚もインターネット上で世界中から非難を浴びることとで初めて自己を確立できる、自己を形成できる、換言するならばそうまでしないと自己を確立できない未熟な存在なのか。

想像力が欠如しているのならば、それは申し訳ないが親の教育のせいだ。自分がされて嫌なことは他人にしてはいけない。みんなが使うものは綺麗に使わなきゃいけない。これを最初に教えるのは親であるべきだし、親がいても尚この価値観が生まれていないのであればそれは親の責任と言えよう。

想像することを放棄しているのであれば、学校教育に問題があると捉えることができよう。集団生活において、否応なしに意識せざるをえない、どう足掻いても逃れられない他者との関わり。他者との関わりを通じて、人は少なからず他者の気持ちを考える、慮るという訓練をする。学校はまさにそういう場だと考えていて、この訓練が十分になされていないということは、彼もしくは彼女の背後にある学校教育にどこか血管があるのかもしれない。

最後に、他者に迷惑をかけてあるいは他者から非難されることで初めて自己を認識できるあるいは自己を確立できるという人間。承認欲求の塊なのか。もしくは、他者からの承認が少ないのか、あるいは他者からの反応が無いと生きていけないタイプの人間なのか。いずれにせよ、この手の馬鹿が1番厄介極まりなくて、恐らくこれからの社会で1番増え続けるであろう馬鹿なのだろう。

 

インターネットに顔を出すことに抵抗が無くなったのはどの世代から?

前に若い子と話をしていて、昨今のSNS事情についての話題になったことがある。

今や多くの若者がスマホカメラの前で曲に合わせて踊り、歌い、それをtiktokに公開して楽しんでいる。その多くは当然ながら当人の顔が、時には撮影場所の情報がしっかりと写り込んでいて、動画を眺めながら「あれ、ここって知ってる場所だ」と思ったことは何度もある。

筆者のようなインターネット老害の感覚からすれば、ネット上に己の顔や身体を晒すという行為そのものが恐ろしくて仕方がない。ネットに顔を晒したら次の日には本名から通っている学校から親の職場まで全てが特定され、一生インターネットの玩具として扱われるに決まっている。匿名掲示板の中で叩き込まれた常識あるいは実際に玩具として晒されている彼もしくは彼女を見てそう学んできた。

良い悪いは別にして、若者にはこの感覚がない。tiktokに動画を公開するのも、Instagramにストーリーを乗せるのも「誰かに見てほしい、評価してほしい」という気持ち、乱暴に言えば承認欲求から来るものなのだとその子は言った。それを聞いて、筆者は軽く目眩がした。それくらい若者は承認欲求に飢えているのだろうか、と。

これは極論というか筆者がどうかしているというか筆者もぶっ壊れているという自覚ありきで書くのだけれども、自己の承認欲求って己で満たすものだと思っていて。だって、他人が自分を理解してくれない評価してくれない承認してくれないなんてのは当たり前のことだから。他者に承認されたいという人は他者と分かりあえると思っているのかもしれないが、そんなわけがない。他者と心が通じ合うことなんて限りなくゼロに近いし、そうなってくれば己の承認欲求は己で満たすしか無い。自分を認めてくれるのは自分しか居ない。そういう気持ちで生きていれば、リスクしか無いインターネットの不特定多数に自分をさらけ出さなくても自分で楽しく生きていけるのに。

美味い麻婆豆腐を作って安いハイボールで酔っ払って「俺ってば料理の天才かよ」って思うのが1番安上がりで幸せな生き方だよ。就職試験に落ちたら「まあ、彼奴等にわからずとも俺は俺が世界で1番だって知ってっから、むしろ彼奴等の目が節穴だっただけだから」って生きた方がストレスなくていいよ。

 

それはそれとして、この唐揚げがめっちゃよく出来たからみんなこの唐揚げが美味しそうだと思ったら☆かいいねちょうだい。俺のこと褒めて。ちやほやして。

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