竹さんの描く玖渚盾が可愛いと感じるのは、それは20年前に玖渚友に対して抱いた気持ちと同意かそれとも異なるなにかなのか
2ヶ月経ってようやく買った
戯言シリーズの新作が発売になるよー、っていう記事をそういえばどっかで書いた気がします。
発売になったのをすっかり忘れていたというか読書に割くリソースを別に割いていたというかもう西尾維新くらいになると初版の売上がどうこうとか関係ないレベルで増刷かかるだろうから俺が買うまでもなく無慈悲に無意味に無作為に売れていくだろうみたいなそういう気持ちで割とずっとほったらかしにしていました。
あれから、2ヶ月半。
ようやく近所の書店で30分かかって探し(西尾維新作品は店によって一般書籍に置かれたりラノベの棚の片隅にそっと安置されたりとアンチ対策が非常にあやふや)令和の日本人の多くがそうするように電子マネーで来月の自分に託すつまり不確定な未来を己の手で1つ確定をさせていくという未来決定装置的な手法で購入することに無事成功しました。未来は確定させられないからタイムマシンは過去にしかいけないというパラドックスがありますが、来月の自分に会いに行った時この支払がなかったことにはなっていないと考えると、存外タイムマシンは未来にも行けるのではないかと思うわけです。
そんなわけで、誇らしい盾こと玖渚盾が無惨に無慈悲にキドナプ(誘拐)されて戯言遣いの娘よろしくキディング(冗談)で事件を解決したりかき回していったり事件を起こしていったり世界遺産を守ったり世界遺産を破壊したりするお話『キドナプキディング 蒼色サヴァンと戯言遣いの娘』を購入した、そして2日で読み終えたという、そういうお話です。
と、ここで時間が来てしまいましたので続きはまた明日。
日高屋で雑に酒飲んで雑に歩いて帰ってきてヘトヘトのまま寝たら軽く深夜30時になっていたので、こんな短い記事ですがご容赦を。容赦なく襲いかかる社畜という現代の歯車に立ち向かうことも逃げ出すことも出来ないという、首を切るというより首を絞められるような日常に飛び込んできます。間違って電車に飛び込んだ場合明日の更新は永遠に訪れませんが、その未来は電子マネー決済では確定できないのでタイムマシンをご用意してお待ち下さい。
では、また。