ホンダ プロローグ
育ってきた環境がそうだから
先日の記事。
この、プロローグ要る要らない問題っていうのが100万年議論され続けているわけですが、果たして皆さん必要だと思っているのでしょうか。上記の記事にも書いた通り、筆者は漠然と「物語はプロローグから始まるもんだ」と思って書いていただけで、その意味を問われると言葉に詰まってしまいます。
このあたり、筆者の創作のベースになっている90年代後半から00年代前半にかけてのライトノベル作品の多くがそうだったのだと、振り返って感じるわけです。
例えば、富士見ファンタジア文庫が誇る代表作中の代表作「フルメタル・パニック」シリーズ。長編はほぼ全てにプロローグが存在します。しかしながら、改めて読み返してみるとプロローグを使って新たに登場する敵や舞台をスムーズに提供しているんですよね。いやはや、賀東せんせまじすっげぇ。
例えば、筆者の創作の根底にあると言っても過言ではない「伝説の勇者の伝説」シリーズ。こちらも長編におけるほぼ全てにプロローグが存在します。なんだったら、エピローグが次巻のプロローグとして描かれているという繋がりもあったりして、こちらも非常に効果的な使われ方をしています。
余談ですがLITさん、大伝勇伝は見事に途中で止まってます。もうどこまで読んだかすら危うい状態なので(たぶん10か11あたり)、まじで伝勇伝から読み直すことも視野に入れながら完結まで持っていきたいところです。大丈夫鏡貴也作品は下半分メモ帳って言われてるくらいスカスカだからすぐ読める
とまぁ、事程左様に筆者が触れてきた作品にはプロローグが用いられているのでした。だから無意識のうちに己の創作物にもプロローグをぶち込んできたわけですが、プロローグが無い作品が駄作かと言われると決してそんなことはなく。なんだったら、歴史を紐解いていくと原点と言っても良いであろう「スレイヤーズ」の第一巻にはプロローグがありません。
だから、必ずしもプロローグが要るかって言われるとそんなことないんですよね実際。いろんな先生方が言っている通り、プロローグが読者に対して上手く機能しているかどうかが大事なわけで。そのあたり、次になんか出す日が来たら考えながら作りたいものですね。
壮大に何も始まらない
プロローグ、決まった長さや枚数は無いと思いますがおよそページ数にして5~10ページ程度でしょうか。あるいは10ページでも長いかもしれません。短い尺で物語の始まりやこれから起こるであろう出来事を読者に効果的に提示する。それによって、物語への没入感を高める。
そんな大事な役割を持つプロローグ、それだけを集めた本を一冊作りたいというクソほどくだらない気持ちが筆者の中にずっとあります。その先の設定があるのかどうかは二の次で、ただただ厨ニ臭くて知らない用語でずっと進行していくプロローグ。なんかこう、締めに「月のない夜空を見上げながら、魔王は静かにほくそ笑んだ」みたいな感じのいかにもな一文を持ってきて終わりっていう。本編は一切分からない、そういうモヤモヤする文章だけで本を作りたいわけです。
でも合同誌にしたら絶対途中で空中分解するので、これはいつか自サークルでやるかもしれないしやらないかもしれません。言うのはタダなので、とりあえず言っとくだけ言っておくことにします。
これが後に歴史に名を残す名作(迷作?)の壮大なプロローグになることを、このときのLITさんはまだ知らない。
なんてね。