ゆたんぽを抱いて寝る。

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【読書記】完結目指してウィザーズ・ブレイン読み直しⅤ

白地に黒の衣装と黒地に白の衣装。この対比が非常に良い

 

運命とはまさにこの出会いのことを言うのかもしれない

Ⅰから始まったこの「完結目指して~」シリーズも、いよいよⅤに入りました。筆者の記憶している限り、Ⅴがこの読み直しシリーズの最終巻になります。あるいは、Ⅴを読み切ったかどうかが非常に怪しい部分でもありました。とかく、サクラが出てくることとイルが出てくることだけは覚えていたわけで。しかしながら、例によって例のごとく話の詳細やキャラクターの関係性は綺麗サッパリと抜け落ちていました。

 

だからこそ、サクラと天樹姉弟の出会いの場面が非常に心に突き刺さったわけなのですが。

 

魔法士を救うべく《賢人会議》を名乗り活動していたサクラの魔法士としての能力、これに関しては長い間を経ようが忘れようにも忘れられないくらい強烈なものとして記憶に刻み込まれていました。『元型なる悪魔使い』錬と同じ能力を有するサクラが真昼や月夜と出会ったのは、あるいは運命のいたずらなのかなにかの導きだったのか。

物語が進むにつれてどんどん真昼がサクラに入れ込んでいくのが、読んでいて非常に不思議でした。月夜も語っている通り、普段の真昼なら絶対に渡らない橋です。真昼のどこに刺さったのか、あるいはどんな思惑があったのか。結局Ⅴを通してもそれは語られなかったわけですが、Ⅴはサクラという魔法士の紹介であるとともに、天樹姉弟の深堀りとしても非常に重要な物語になっているなと読み終えて感じています。Ⅰが錬の物語だとすれば、Ⅴは真昼と月夜の物語になっているわけです。

真昼の気持ちも月夜の気持ちも、二人の年齢を軽々しく超える年齢になって読み直すとよくわかります。危ない橋を渡りたくない月夜も、それ以上の何かを腹に抱えて《賢人会議》に与することを決めた真昼も、互いに抱いているのはきっと「錬やフィアが安心して暮らせる世界」なんだろうなと。ただ、世界規模でそれを叶えたい真昼ととにかく家族の安全を最優先で確保したい月夜。二人のどちらが正しくてどちらが間違っているなんてことは決して無くて、ただひたすらに互いの正義と理想があって、なんだったらサクラだってイルだってそれぞれに正義があって、結局この世界はその正義のぶつかり合いでしかないのだと、ⅤはⅣ以前にも増してそんな描写が筆者の心にグサグサと刺さり続けたように感じました。

ラストの場面でディーやサクラと共に《賢人会議》として姿を表した真昼、その思惑がⅥ以降で語られるのが今から楽しみで仕方有りません。

 

一人を救うために一万人を見殺しにするのか、一千万人を救うために一人を犠牲にするのか

《賢人会議》――サクラの目的とイル――シティ・モスクワの目的は互いに真反対のところにあって、その正義が強烈にぶつかりあった結果が二人の戦闘として描かれまくったのがⅤの魅力のひとつです。マザーコアを否定してでも、数千万のシティの人間を見殺しにしてでも、一人でも多くの魔法士を救いたいサクラ。最大多数の幸福を実現させるべく、シティの存続を賭けて行動するイル。真昼や月夜がそうであったように、どちらも正しいんですよ。というか、どちらかが間違ってるなんてことはないんですよね。だって、どちらも「誰かを幸せにしたい」という気持ちは一緒なのだから。だからこそ、その対象が違うからこそ、文字通り死闘になるわけで。

この二人の戦闘は、とにかくド派手で見応えしかありませんでした。「悪魔使い」らしい多角的な戦術を駆使しつつ、それでいて錬ともまた異なったスタイルで戦うサクラは本当に強くてチートじみていたし、それ以上にイルの存在確立制御とかいうチート中のチートがねぇ……当時クソガキだった筆者に「量子物理」「シュレディンガーの猫」という言葉を教えてくれたのは、他でもないイルことシティ・マサチューセッツが産んだ失敗作幻影No.17でした。自分の存在確立を自在に操って”死なない程度の傷を負う”とかいう戦いをしつつ、I-ブレインに頼らない化け物じみた身体能力。この泥臭さがたまらなくかっこいいんですよ。

そんなイルとサクラが最後に戦うのが満開の桜の下、舞い散る桜吹雪の中っていうのがね、これまたたまらなく素敵で美しくて。ここぞの場面でサクラが悪魔使いらしくイルの能力をコピーするとかいう戦い方を持ってくるのも、これまた死ぬほど見どころ満載の展開でしたね。

 

セラは強いな。本当に強い子だ

さて、本作を語るうえで外せないもう一つの要素。それはなんといってもディーとセラに他ならないだろう。成り行きから最凶と謳われた騎士剣《森羅》を使うことになったディーなわけですが、その能力が尽く常軌を逸してたわけで。

どこの世の中に、全身の腱が切れ骨が折れた状態でI-ブレインが作り上げた仮想の肉体を駆使して戦うなんてスタイルがあるものですか。それだけじゃない、使用者の限界をフル無視してただひたすらに敵を一番効率よく殺す曲線を描画する、その最適ななぞり方をトレースするなんて馬鹿げた戦い方がありますか。そんなチートというか狂気そのものな騎士剣が存在するってだけでもどうかしてるというのに、それをディーが扱うという事実がもう、本当に読みながら泣きそうになりました。

 

だって、あれだけ人を殺せなかったディーが百を超える死体の山を築き上げることになったのだから。

 

セラを守るためとは言え、一度発動した森羅の能力を止めることはできません。そりゃあ「使用者は死んでもいいから敵を殲滅しろ」という本当に頭のイカレた騎士剣を握ってるからそうなるんですが、とにかくディーがひたすらに人を殺め続けているという事実がね……これまでのディーを見てきただけに心が痛かったです。

でも、筆者以上に心を痛めてたのはセラなんですよね。自分を守るために人を殺し続けるディーを目の当たりにしたセラの心が押しつぶされそうになる様子は、とてもじゃありませんが計り知れたものじゃありません。そんなディーのことが大切で、でもその気持ちを強くすることは大好きなお母さんに背を向けることになってしまいそうで……そんなセラの葛藤が深く心に突き刺さる、そんな展開にずっと胸を痛めながら読んでいました。

しかしながら、すごいのはそこからで。

セラは言ったんですよね。ディーのことを怒ると。許さないと。

自分はもっともっと強くなるからと。ディーがこれ以上人を殺さなくていいように、自分がもっともっと魔法士として世界で唯一の自然発生した稀代の光使いとして強くなって、自分の身を自分で守れるようになるからと。それでももし、自分のためにディーが人を殺さなきゃいけない場面に直面したら、その時は自分がディーを絶対に許さないのだと。

そうきっぱりと言ったセラが、本当に強くて、美しくて、ただただ溜息しか出ませんでした。泣き虫で母親に怯えているだけの少女だと思っていたセラがその実、ディーよりも、あるいはここまで出てきたどの魔法士よりも強くてまっすぐなんじゃないかと思うほどに、ぐっと引き込まれた場面でした。

 

読み直しはここまで。ここからウィザーズ・ブレインが始まります

あとがきまでシビれる内容でしたね。

ここまでが丁寧な人物紹介。Ⅵからがいよいよ各キャラの邂逅と新たな関係、新たな展開の幕開けとなるようです。筆者の読み直しもここまでとなり、Ⅵからは完全初見で物語を楽しむ時間が続きます。次はここまでずっと能力だけは錬や他のモブ魔法士を通じて出てきていた炎使いが主役のよう。そして次からは上中下とボリュームもマシマシになってきます。楽しみましょう。必ずや、最後まで。

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