ゆたんぽを抱いて寝る。

ゆたんぽを抱いて寝る。

猫のこと、本のこと、アニメのこと、野球のことetc...思いついたまま、気の向くままに。

ゆたんぽを抱いて寝る。

特技は利害関係、苦手は信頼関係です

トップ15位のどこかに該当するような仕事をずっとやってます

 

これが立派に育ったコミュ障です

自他ともに認めるコミュ障をかれこれ三十年以上やっています。いやまぁ自他ともにと書きましたが「そうだよねあなたは立派なコミュ障だよね」と面と向かって言われたことはありません。そう書きたいところですがちゃんと「わかるーちゃんとコミュ障やってるよねー」と言って貰えてることが多いのでちゃんとコミュ障です。

「いやいやLITさん、宴席であれだけ人と喋って笑ってたじゃないですか。どこがコミュ障だって言うんですか」

こういう声をいただくことも多いんですが、違います。本当のコミュニケーション強者は、ちゃんと人間と会話ができる生き物の事を言うんです。LITさんは違います。断じて違います。だってほら、この人ってば人の話を聞いてないから。聞いてるように見せてなんにも聞いてないから。聞き上手がコミュニケーション強者だとしたら、筆者はちゃんと真逆をひた走ってます。聞いてるふりをしてちゃんと自分のことしか話してないというのを誤魔化す技術だけうまくなったのが今だと確信してます。故意犯です。

 

友達がいないを拗らせた末の持論です

今日も元気に独身街道まっしぐら。こんばんは、LITさんです。

 

コミュ障に紐付いてなんですが、最近本当に自分が一生結婚なんぞ出来る気がしないという気持ちが強くなっています。原因は元より結婚に対して前向きではない、一人が好き、そもそも結婚相手に選ばれるような努力を全部捨ててきた等様々ありますが、一番大きいのは「他者との信頼関係」が絶望的に苦手という点に尽きると思っています。

したことないんで憶測でしか無いんですが、結婚ってつまるところ「信頼関係」これに帰結すると思うんですよ。具体的に何を指して「信頼関係」と呼ぶかという定義の話をすると、「無条件に自分の時間や自分の内面、弱点を見返り無く相手に提供する」行為です。仕事以外で唯一自分の時間を100使えるプライベート、その一部を無条件に他者に、生涯にわたって提供することになるのが結婚というイベントです。同じように自分が普段はひた隠しにしているだらしのない部分や見せたくないズボラな部分を相手に無償提供するのが結婚による環境の変化がもたらす影響です。これを想像したときに、真っ先に「あぁそりゃ無理だ」となってしまう自分が居たわけで。だって自分の時間は死ぬまで自分のために使いたいに決まってるじゃないですか。そういうことです。

逆に「利害関係」下における関係構築はめっぽう強いのだと最近自覚してきました。ここにおける「利害関係」というのは、自分と相手が同じ場に存在した時に「上手くやっておいたほうがいい場や人」という関係を指します。例えば職場の人間関係とか、例えば同じ目的を持ってその場に集った集団とか、そういう類の関係です。仕事を円滑に進めるために、あるいはその場における共通の目的や話題を成立させるための会話運びや立ち居振る舞いというものに関しては、これはもうめっぽう強い自信があります。それはひとえに「上手く行ったほうが良い場」だからです。相手の限られた時間をこちらが食い潰しているのなら、その分の楽しいを提供するのがせめてもの返礼というものだと、そういう思考で生きるのがデフォになってる感は正直否めません。そういう利害関係の中で生きるのはバチクソ強いというかそういう利害関係を抜きにした信頼関係だけで他者と共生できるハズがないと決めつけている以上、そりゃあ結婚だの友達関係だのは無理だよなぁと思う今日このごろ。

さぁて、終活でも始めようか。

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