ゆたんぽを抱いて寝る。

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2024.12.8 らくごカフェ「桂文治 自分のための落語会」

画像提示で前売りというシステム非常に好きです

 

今年のらくごカフェはこれで終いかぁ

「今年最後の◯◯」という言葉を聞くと、いよいよもって年末を感じます。まだ一ヶ月あると考えるかもう一ヶ月しかないと考えるか。人によってそれぞれだと思いますが、聡明なLITさんはこう考えます。

 

いやもう一ヶ月切ってるし、と。

 

そうなんです、もう一ヶ月どころか3週間しかないわけです。さすがに3週間はもう「しか」と入れてもいいでしょう。そんなよく晴れたけれども寒い日に、神保町はらくごカフェで文治師匠の会に行ってきたという記事です。まさか文治師匠の高座でもらい泣きする羽目になるとはなぁ……

 

爆笑派の師匠ですが、こういう高座もいいものです

掛け取り 桂文治

ネタ出し1席目は、掛け取り。これはもう言わずもがな10代目から受け継がれるお家芸の一つと言ってもいい噺です。そして掛け取りが出たってことはいよいよ年の瀬だなぁと感じさせてくれる、そんな噺ですね。それも寄席の10分、15分尺と違って、今日はたっぷり大盤振る舞い。狂歌に始まり、芝居の部分は亡き昭和の名人噺家の形態模写から今まさに浅草昼席に出ている売れっ子の師匠の形態模写まで、本当にずっと笑いっぱなしの掛け取りでした。筆者は掛け取りも含め先代の芸を生で見ていないわけですが、それでもやっぱり当代文治師匠の掛け取りは面白いんだよなぁと改めて思わせてくれる高座。いやぁ笑った笑った。

 

権助魚 桂空治

愛のある師匠いじりに定評のある空治さんですが、今日も師匠弄りが冴え渡ってましたね。前座の頃から幾度となく見ているやりとりですが、二ツ目になってもこうやって続いているのは、まさに愛のある証拠でしょう。

高座の方はと言えば、安定の権助魚。これまた前座の頃から何度も見ていますが、何度見ても権助与太郎っぷりには笑ってしまうし、表情や仕草が前に見た時よりずっと洗練されている気がしましたね。前座の頃から何度も上がってきたらくごカフェという場所もあってか、のびのびと高座を務める空治さんが見られて良かったです。

 

火事息子 桂文治

町火消の蘊蓄や江戸の火事事情を交えたマクラから始まった文治師匠の火事息子。筆者は文治師匠の火事息子を聞くのはこれが初めてですが、あとの解説で聞いたところ20年以上ぶりに演る噺だったようです。そりゃあ初めて聞くわけです。

そもそも火事息子自体ちゃんと聞いたことがなかったので新鮮な気持ちで高座を見ていたわけですが……いやぁ、すっかり見入ってしまいました。特に終盤、番頭さんに連れられて帰ってきた藤三郎と父親、母親が再会する場面がね……親父さんの頑固でもしっかりと愛情を感じる部分、おかみさんのまっすぐな母親としての愛情を、これまたまっすぐに描ききった部分。文七や芝浜とはまた違った、親子の確かな人情噺に深く心を打たれました。臥煙になっても、入墨だらけになっても、親子は親子なんだなぁ。

 

解説

掛け取りは本当に寄席の万能ネタなんだなと改めて思わせてくれましたね。言われてみれば寄席の掛け取りでは芝居が好きという設定で鳴り物が入ってたなぁとか、先代文治師匠の掛け取りは歌が入ってたなぁとか(これは音源だけしか聞いてませんが)、そんなことに気付かされましたね。

火事息子については、バスツアーの話が背景にあったという解説。消防博物館で解説を聞く中でポロッと出た、遥か昔に教わった「火事息子」をいつか演るという話。これがなければ、あるいはこの噺は二度とかからなかったかもしれないというところから、15年の長い付き合いになった後援会長さんとの思い出話へ。今年亡くなった後援会長さんと最後に交わした言葉を思い出し、言葉を詰まらせる文治師匠。常に爆笑で常に笑いの絶えなかった師匠が、初めて高座で見せた涙でした。そんな光景に、筆者も思わず目に熱いものが。こうやって思い出を語れる人がいるというのも、素敵な人生だなぁと思いましたね。筆者も後援会長さんには何度もお目にかかっていて(栄町会館の会はもちろん、空治さんの二ツ目祝の会でも)、本当に素敵なママさんだったのを覚えています。改めて、御冥福をお祈り申し上げます。

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