
こんなラジオもおしゃれで好き
何度経験しても、ラジオでメールが読まれると脳汁が出る
昭和から平成にかけて、かつてハガキ職人と呼ばれていた人たちはメール職人へと名前を変え、ラジオの舞台を下支えし続けていました。令和の世の中においてこの「メール職人」という文化が未だに存在するのかどうか。筆者としてはメール職人という言葉は廃れつつあっても、いわゆる「名物リスナー」という位置づけで度々メールを読まれる人、という存在は未だどの番組においても在り続けているのではないかと捉えています。
それは地上波のラジオであってもネットラジオであっても、媒体は違えど同じことで。
同じパーソナリティ、同じ話し手の声が流れ続ける別番組であっても、同じようなラジオネームを耳にする機会は決して少なくありません。この人は一体週に何本このタレントのラジオを聞いて、どれくらいのメールを送り続けているのだろう。そんな疑問を持つのは当然のことです。だって、それは僭越ながらも自分が「ラジオにメールを送る」という遊びの末席に身を置いているからで。
メールを送る、というのは簡単なように見えて存外難しいものだと、10年以上、下手をすれば最初に送った時を振り返ると20年以上経っても尚実感し続けています。こと、番組において「読まれる」メールを書くとなると、これはもう本当に才能と努力の塊なんだなと、ラジオを聞くたびに痛感させられます。
個人的に、大きなラジオでも小さなラジオでも、勝率は五分と五分。全く読まれない時もあれば、なぜだか毎週読まれるときもあります。頻度の差こそあれど、ラジオの向こうから自分のラジオネームが聞こえた途端っていうのは、何度経験しても脳汁ダバダバですね。金保留くらい嬉しい。
長さ、話題、単語、全てにおいて攻略法なんてないんだよな
テーマメールよりもリアクションメールの方が難しいと思っているLITさんですこんばんは。
リアクションメールという言葉が生まれたのは、恐らくメールが一般的になった平成中期頃からでしょうか。誰も彼もがPCだけじゃなく携帯から気軽にメールが送れるようになっただけじゃなく、各番組でメールフォームが出来上がった頃。今迄は放送後に送られていたハガキは、放送中にリアルタイムに反応の送れるメールに差し替わってきました。
さっき話した内容に対する反応が、ツッコミが、共感が、CM明けには作家を介してMCの元へと届く。今まさに届いたばかりのメールを見事に捌くMC。このリアルタイム双方向コミュニケーションは、それまでラジオを聞いていた人間にとって画期的なものでした。と同時に、よりメールの質が求められる時代になったものだと当時は感じたものです。
読まれるリアクションメールの書き方、みたいなのはググればいくつも出てきます。ただ、問題はそれが実際に出来るかどうかなんです。筆者も一時期リアクションメールを書きまくったことがありましたが、これが存外難しい。まずもって時間がない。OPトークを終えて3分弱の曲が流れる、あるいはCMが流れている間にメールを書いて送らなきゃいけないという時間の短さ、ここが最初の関門です。タイピングもしくはフリック入力の速度が求められます。短く文章をまとめる能力も必要です。しかしながら、短すぎては凡庸な感想となってしまい作家の目には止まりません。いかにしてラジオを面白おかしくできそうなキャッチーな単語あるいは話題をこの短い間に選択できるか、構築できるかという短距離走のような勝負が毎晩毎夜行われているわけです。あれは一時期本当に大変で、でもそれ以上に楽しかった。数撃ちゃ当たるで放送中にひたすらメーラーを開き続けひたすらメールを送り続けてやっと一通読まれるかどうか(そもそもメールを拾わない番組もあるので)の世界において、自分のラジオネームがスピーカーから聞こえてくるのはやっぱり嬉しかったものです。
流石に最近は深夜放送に張り付いて……みたいなことはやりませんが、それでも好きな番組にはメールを送るをやってます。聞き始めたばかりの番組というのは特に難しくて、どのくらいの長さがいいのか、メインMCが二人いたら誰がメールを読むのか、一回の放送でどのくらいのメールが採用されるのか、生放送なのか収録なのか、1本撮りなのか2本撮りなのか……考えることは結局リアクションメールと一緒かそれ以上に大変なんですよね。これがコーナーになってくると、さらに己の力量とセンスが試されます(某JUNKの番組は倍率と猛者が強すぎて本当に採用されない)。
それを見極めるのに、およそ半年はずっと聞くだけリスナーをやります。初手からメールを送っても読まれないか空気読めないかのどっちかに転がりがちなので。半年ROMれってのは今も昔も、こうやって受け継がれてるんだなぁと感じる今日このごろ。皆さんも、好きなラジオに気軽にメールを送ってみては?