
これはエモい写真なんだそうです
相対性理論は「メロい」の箱にしまっても良いか
若者がこぞって使う「エモい」だの「メロい」だのとかいう単語。そう言えば結局、どういう意味なのか筆者もわからず使っていることがあると気が付きました。どうしよう、実は「メロい」の本当の意味が口に出すのも憚られるようなオメガマックス卑猥な単語とかだったら。筆者の知らない国の言葉で女性器を指す言葉だったとしたらどうしよう。人に向かって「◯◯さんめっちゃメロいわ」と言っていたのが芸能人の不倫騒動ばりの炎上騒ぎになるほど卑猥な単語だったらどうしよう。
そんな時、頼りになるのは俺らのチャットGPTです。

メロディっぽい、もしくはセツナ系メロディがグッと来る、的なものを総称して「メロい」と呼ぶ、というような要約でいいでしょうか。それにしてもチャットGPTに「砕けた感じで教えて」って言ったら本当に砕けた感じで教えてくれるのすごいですね。それで行くと、筆者個人の感覚になりますが相対性理論もしくはやくしまるえつこはメロいの箱に格納してるんですがどうでしょうね。あるいはエモいの箱にしまうべきか。と思ってチャットGPTに聞いてみたら、そもそもエモいの箱の中にメロいの仕切りがあるイメージなんですかねこれは。

結論:若者言葉はよくわからん。
ヤバいだのエモいだので片付けようとせず、ちゃんと言葉で形容しながら生きてゆきたい
9割の嘘に1割の真実を混ぜ込むことで、嘘は嘘として成立する。
こんばんは、これが詐欺師のやり方だよと啓蒙活動をしていると言い張っているLITさんです。
最近の若者はなんでもかんでも「ヤバい」だの「エモい」だの「しんどい」だので片付けてしまっていけない。という言葉を耳にします。いやまぁ「ヤバい」なんてのはここ20年くらいですっかり定着してしまって、もはや若者言葉ですら無くなった感じがしますが。
この「感情が揺り動かされた時『エモい』という言葉で一括りにする」という若者の表現の乏しさを一部の大人が嘆いたのが上記の台詞なんでしょうけれども、ンなもんいいじゃないですかと。感動に説明なんて要らないんですよ。やば、しんど……って言葉で全然構わないし、エモいよねー、うんうんエモいよねー、くらいで伝わるんだからそれでいいじゃないですか。むしろ「ここが◯◯で実に△△で」などと要素を一つずつ挙げながらの言語化というのも、やりすぎると冷めるんじゃないかとすら思えてくるわけで。
この「感想は、感動は個別具体的な言語化によって示されなければならない」という考えにとらわれてしまう原因ってどこにあるんかなぁと考えたときに、行き着くのは小学校の読書感想文や生活作文なんじゃないかなと筆者は考えました。思い出してみて下さい、作文の書き方を。読書感想文の上手な書き方と称して授業で言われたことを。
やたらと「『面白かった』『「楽しかった』以外の言葉を使いましょう」というようなことを言われなかったでしょうか。あれが行き過ぎた結果なんじゃないかなぁと、薄ぼんやりと思うわけですよ。楽しかったことは楽しかった、悲しかったことは悲しかった。これでいいんです。いやまぁそれすら全部「やばい」「しんどい」でまとめられたらそれは確かに問題だとは思いますがね。
言葉って難しいなぁずっと難しい。明日はもっと上手に言葉が使えるといいね、ハム太郎!