ゆたんぽを抱いて寝る。

ゆたんぽを抱いて寝る。

猫のこと、本のこと、アニメのこと、野球のことetc...思いついたまま、気の向くままに。

ゆたんぽを抱いて寝る。

そりゃあ僕だって綺麗事ばかり言ってるような年じゃない

■この後ぱちゅりーにめちゃくちゃ怒られた

 

Twitterでフォロワーさんがこの動画を紹介していた。

正直ぱちゅりーは神聖視しすぎてそういう目で見ちゃいけないみたいな

 

 

 

 

 

そういうのどうでもよくなったよね!

 

 

生気のないジト目……最高ですよねこれ…

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なすがままされるがままにされていくぱちゅりー……

 

もうね

 

興奮しますよね、えぇ

 

 

なんて高まった気持ちでマイリストを眺めてたんですよ、そしたらね

 

 

 

これ。

いいからまず見て。

 

見た?

 

 

 

 

 

 

 

最高ですよね!?!?

 

これね、この

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「これから何が起こるか分かってて抵抗したいけど出来ないからせめて睨みつけてやらないと気が済まない」

って感じがまずそそるわけで。

 

 

からの、これ

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表情最高ですよね…

抵抗したいけど出来なくて泣きそうだけど泣いたら負けちゃうから泣かないから目一杯我慢してる、みたいなこの顔!ね!!

続きは…ご自分でお確かめください。僕は大満足です。

 

■堕ちない・負けない・救いないの「3ない」を守って楽しい陵辱ライフを

個人的な感覚ですが、割と序盤から「おちんぽおおおおお」とかアヘ顔ダブルピース的な展開されるとすごく萎えます。

乱暴な言い方になりますが、もうそれはただの和姦物、らぶらぶちゅっちゅなセックスとどこが違うのかといいたくなります。

 ヒロインには是非とも最後までちんぽに負けず頑張って欲しいものです。

強い心を持って立ち向かって欲しいですし、隙をついて牙を向いて欲しいわけです。

それをへし折ることが出来ると思えば一層昂りは増しますし、それがそそるのですから。

これが「堕ちない」「負けない」という話です。

 

そして、「救いない」とはどういうことでしょうか。

これは「堕ちない」と少し関係があることです。そして、この3つの中で一番重要な要素だと考えています。

例えば、最終的に「えへへ、あたしおちんぽだいしゅきぃ♡」みたいになる展開、結構見かけますが結構萎えます。

このエンドって、ある意味救われちゃってるんですよ。

見て分かる通りこれはもう堕ちちゃってるわけで、そうなると本人は幸せなのか不幸なのかすら考えることすらできない。

これを、思考を放棄して本能のままに男を受け入れると見ると、最後の最後に和姦エンドになってしまっているわけです。

とても惜しい。

 

それとこれも結構見かけるんですが、「こうして、おちんぽの魅力にとりつかれた私は今日も知らない男の人のおちんぽを求めてる卑しい女の子になっちゃいました」みたいなエンド。

一見すると心折れて胸糞たっぷりな救いのない終わりにおもえますが……

 

 

ただのビッチもどきじゃん!

 

勝手に幸せになっちゃってるじゃん!

 

 

やる気あるの!?

 

 

叫びたくなります。

そうじゃないでしょうと。

 

ヒロインの皆さんには是非とも最後まで強い心を持って、歯を食いしばって、涙を堪えて、牙を向いてほしいわけです。

全身で抵抗してもいいですし、絶えず怨嗟の呪詛を放ってもいいです。

最後まで目一杯抗って、一筋の光明を信じて、拳を握りしめて…

 

 

最後にその心がぽっきりと折れる瞬間が最高だと思いませんか?

 

例えば、もう時間も分かんないくらい犯され尽くして、ようやく終わり――

そう思った瞬間、男がニッタリと笑みを浮かべて、スマホを取り出す。

するとそこには、目も当てられないような姿の自分が映っていて、そこで全てを悟ってしまって――

みたいな終わり。

あるいは、これはよく見るシチュエーションですが、最後に「おっ、やってるやってるぅー」みたいなノリで追加の竿役が現れるパターンです。

どちらも、ここまでギリギリのところで必死に保っていた矜持や切れそうな心の糸を真っ二つにおる、あるいはスパッと切るには丁度いいわけです。

 

これが、「救いない」という話でした。

楽しみ方は人それぞれですから、勿論これが正解というわけではありません。 

ただ、陵辱物というジャンルの構成の一つとして、こういうところを意識したら素晴らしい作品が増えるといいなぁ、というお話でした。

 

今ンところそれを十二分に満たしているのが那岐山(同人名義はナギヤマスギ)さん。

ここまで書いたことが全部詰まってる夢のような作品ばかり。

東方陵辱シリーズ、おすすめです。

全国の同人ショップでぜひ。

猫はビニール袋が大好きだ

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■タイトルは槇原敬之さんの楽曲のオマージュです

「れい&ゆいのホームランラジオ」を見つつ缶ビール一本空け終えた。

ヤクルトファンだけど顔で言うと立花理香さんみたいな人が好きですね、はい。

 

500缶1本で割と酔える体質なのでコスパが良いと自覚しつつ、今日は猫の話。

 

■猫くらいしか惚気け話になる子がいないんです察してください

我が家の同居人、もとい同居猫ゆたんぽ君。

この記事を書いているこの瞬間も、彼は人の膝を我が物顔で枕にしている。

 

いやぁ、ほんと・・・

 

 

甘えん坊なんですよコイツ(親馬鹿)

 

ほんとね、家に帰ってくると「遊んで遊んでー」とばかりに床にゴロンと横になってアピールしたり、布団に入ると「一緒に入るー」と言わんばかりに布団に潜り込んできたり、ほんっっっっっっっっっとに甘えん坊。

 

いやまぁ、それが可愛いんだけど(親馬鹿パート2)

 

コスパのいい趣味で飼い主冥利に尽きます

そんなゆたんぽ君。

紐とビニール袋が大のお気に入り。

 

特にビニール袋!

 

ビニール袋に手を突っ込んでゆたんぽの前でゆらゆらと動かすと、猛烈な勢いで飛びついてくる。

まるで獲物にとどめを刺すが如く、爪と歯を目一杯突き立てる。

お陰で穴の空いたビニールをゴミに出す頻度が増えた。

それと、腕に引っかき傷が増えた。

 

同率一位はヒモ。

荷造り用のヒモが一番いいことが最近わかった。頑丈だから齧っても簡単には切れないと言うのが一番の理由だ。

ビニールとおなじくらいに、食いつく。

ちょっとちらつかせればものすごい勢いで追いかけてくる。

爪に歯に立てられるものはフラグ以外なんでも立てるものだから、やっぱり生傷が増えた。

 

それでもちょっと手が届きにくい場所にあると、途端に諦めちゃう。

ちら見して、それで終わり。

こいつもう野生の本能とかそういうものをどっかに置き忘れただろってレベルの無関心っぷり。

だからお前はぶくぶくと太るんだよ・・・ほんと、誰に似たのか道楽猫で困ったものだ。

 

 

 

えっ、猫は飼い主に似る?

 

 

 

 ハハッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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親が本を読む親なら子どもは本を読む子に育つかもしれない

blog.hatena.ne.jp

■青春してる人ほど本読んでないイメージが有るのは強い偏見です

現在、はてなブログではこんな企画を行っているらしい。

青春とは程遠い日々を送っていた記憶しかないが、「一冊」と言われると難しい。

ラノベにどっぷりハマるきっかけになった本は今でも忘れないのだけれど…

それはまたの機会に書くことにする。覚えていればの話だが。

 

■大人の事情で三姉妹じゃなく四姉妹になったドラマなんてなかった、いいね?

通っていた中学には、朝読書なる時間があった。

朝8時15分から10分間、一斉に読書をする時間である。

入学当時、この時間が本当に苦痛で仕方なかった。それまで本なんてマトモに読んだこともなかった。

何かのきっかけでようやく本をマトモに読んだのが、学校の図書館でたまたま手にとった金田一少年の事件簿のノベライズだった。

漫画を読んでいたお陰で割とすんなり物語に入れたのは覚えている。

これなら暫くネタには困らないだろうなんて思っていたのも束の間、あっという間にピンチは訪れた。

なんてことはない、学校の図書館においてあるレベルの漫画ノベライズなんてたかが知れているのだ。

すぐにストックは切れ、俺は路頭に迷う朝読書難民になってしまう。

そう言えば最近の学校図書館には普通にラノベが置いてあるって聞いたけどどうなんだろう。俺の通ってた中学には卒業後キノの旅が入ったとか入らないとか聞いたが、その真偽は定かではない。

そんなわけでいよいよ朝読書のネタが尽きた。困ったので事情を母に話すと、「じゃあこれ面白いから読んでみなさいよ」と言われて渡されたのが赤川次郎先生の「天使と悪魔」だった…と、思う、たぶん。

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ぶっちゃけ、レベルはダダ上がりである。

今までNormalをボムありきでなんとかかんとかクリア出来てたと思ったらいきなりHardノーボムでクリアしてみようみたいな難易度の上がり方だ。

幾らか読書に抵抗がなくなってきたとは言え、所詮マンガに毛が生えた程度のもの。一方母に手渡されたこれは、まず挿絵がない。ビジュアルが分からない。地の文から想像するしかない。

それと、声がない。今でこそ脳内CVは誰にしようなんて楽しみすらあるが、当時これはかなりの難題だった。

 

そんな不安の中読み始めた「天使と悪魔」だったわけだが…

 

 

これがびっくりする程面白かった。

 

出来の悪い天使と悪魔がそれぞれ少女マリ、犬のポチへと姿を変えて事件を解決していく…そんな設定に惹かれたんだと思う。ふたり…もといふたりと一匹はすごく凸凹で喧嘩ばかりするんだけど、でもいざって時には助け合って。

そんな赤川次郎先生のお話は、今まで知らない世界だった。

なんだ、食わず嫌いしてたけど本ってこんなに面白かったんじゃないか、そう思ったらあとは単純な自分の性格である。

 

別の話が読みたくなって、母に尋ねた。

すると、今度は三姉妹探偵が出てきた。学校で一気に読んだ。

三毛猫ホームズが面白いと聞けば、母の実家から持ってきて読んだ。母の実家にないものは市立図書館で借りて読んだ。十数年生きてきて初めて図書館のカードを作った。

短編集に入っていた夫は泥棒妻は刑事シリーズの「射殺するわよ」っていうフレーズは今でも大好きだ。

悪魔シリーズは今でも読んでるくらい好きだ。

そのくらい赤川次郎ワールドにどっぷり浸かっていった。中学2年の頃だった。

間違いなく物語の世界にドハマリするきっかけを作ったのは、あの母に違いない。

おかげさまで我が家は本だらけである。

 

■本記事は読書を推奨するものではありません

子どもが本を読まないと嘆く親御さんは多いと聞く。一方で、子どもの頃から本を読んで聞かせていたり自身も本を読む姿を見せていると、すごく本を読む子になったという話を聞く。

子どもは多かれ少なかれ親の影響を受けて、親の真似をして大きくなるものだ。

だから、親が本読まなきゃ子どもがそのきっかけをつかむのは難しい…とまでは言わないがきっかけの一つは間違いなく失われているし、逆もまた然り。

また、親という身近なレビュアーがいるというバイタリティは非常に大きいと思う。

大人の財布事情から言えば、本なんてたかだか600~700円程度の出費だ。2冊買っても定食一食分くらいにしかならない(そこ、境界線上のホライゾンとか終わりのクロニクルとか言わないように)。

だが、子どもにとって1,000円はデカい。そんな大金をはたいて面白いか面白くないか分からない、読みきれるかどうかすら危うい小説を買うという行為はとてもハードルが高い。

しかし、そこに親という身近なレビュアーが居たとして、「面白いよそれ」なんて話をしてきたら?

財布の紐を緩めるのには十分なことだろう。

「うちの子全っ然本読まなくて…」という声を嘆く親程、自分も読まないという人は多い。

親がろくすっぽ料理しないのに子どもが勝手に料理を覚えるわけないのと同じで、趣味だって親の影響は大きいのだ。

 

■本くらい読んで少しは勉強しなさいと言う台詞を抜かす輩は漏れなく敵だ

私を苗字で呼ぶのは敵だけだ。

そんなニュアンスのことを言ってたのはどこぞの人類最強だったか。

ここまで本のお話をしておいてなんだが、読書なんてのは所詮ただの趣味のひとつでしかないと思ってる。

世の中には読書をなんだか高尚なものだと捉えていて、ゲームなんてしないで本の一つでも読みなさいなんて頓珍漢なことを抜かす親がいるらしいが、その考えは真っ向から否定したい。

具体的には、「本を読めば勉強になる」と思ってるその思考が気に入らない。

もちろん本を読んで得るものはある。物語に触れることで感性を養ったり、場面を思い浮かべながら読むことで想像力を鍛えたり。

俺に言わせれば、ンなもの得ようが得まいがどうでもいい。

本を読んであー面白かった、感動した。それでいいじゃない。

それが漫画でもいいし、ゲームだっていいと思う。

人の趣味にとやかく口を出すんじゃあないよと。それこそ親であろうとそこはあれこれ言っちゃあいけないよと。

そんなことを思う今日このごろ。

 

 

まぁ、死ぬまでに一度くらい夏目漱石くらいは読まなきゃいけないよね、うん。

キャンプ地に辿り着き、難民は意気揚々とテントを張った

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■君は知るだろう――

誰もが楽園だと信じた。もう死と隣り合わせの生活から解き放たれるのだと、ようやく心休まる地を見つけたのだと。それが幻想だともしらz

 

やめて皆城君!

 

茶番は置いておくとして・・・

春アニメより「三者三葉」第一話を見た。今日はその感想を記しておこう。

アニメ不毛の地に生きる人間としては、ニコニコ動画の配信が本当にありがたい限りだ。

 

■13年目にしてアニメ化とはこれいかに

元気爆発大食い娘の小田切双葉、天使の顔を持つ悪魔の葉山照、元お嬢様で極貧生活真っ最中の西川葉子の、3者でそれぞれ違う個性を放つ3つの葉とその周辺の濃い面子が織り成すギャグストーリー。連載開始から12年以上経過しているが、作品内の時間は事実上のサザエさん時空になっており、登場人物がそのことを揶揄するメタ発言をしたことも。しかし単行本12巻のラストにて突如キャラクターたちが進級した。 

タイトルは三者三様のもじりであり、主役3人の名前にそれぞれ「葉」がついていることに由来する。

 

Wikipediaより抜粋)

 

まーたきららが原作ストックもなしにアニメ化かよ、と思ったらどうやら次元の違うお話だったらしい。

どうしてこのタイミングでアニメ化なんだろうという疑問は残るが、何かしら理由があってのことなのだろう。

荒井チェリー先生と言うのが未確認で進行形の作者だという話をwiki見るまで知らなかった程度に、きらら界隈の話題には明るくない自覚はある。どっちかって言うときゃらっとの方が詳しい気がする。ひだまりとか、GAとか。あ、GAは終わったか・・・

 

■やっぱり頭空っぽにして見られるアニメは素晴らしい

いつの頃からか分からないが、こういう何も考えずに見られるアニメが本当に楽しい。

切った張ったもなければ友情にヒビが入って一触即発の事態に陥ることもない。

ひたすら可愛い女の子たちを眺めながら、たまにゆるーい笑いが起こる。

例に漏れずこの作品からもそんな雰囲気を感じる。

お酒を呑みながらダラダラと見て、気付いたら寝落ちててシークバーを戻して、また寝落ちてて・・・というダメな大人の見本みたいな視聴スタイルがよく似合う。

第一話からお風呂回という視聴者思いな構成も素晴らしい。

これからの3人に期待しながら来週を待とう。

 

余談だが、葉山照ちゃんが今のところ目下一番のお気に入りだ。

眼鏡は素晴らしい。素晴らしい。そう思うでしょ?

猫専用のドアボーイになって2年が経った

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■はじめに

せっかくブログを開設したのだから、やはり最初は猫のことを書こう。

今日はヤクルトが巨人相手に快勝して気分がいいのでビールでも呑みながらしたためようと思いおつまみの鯖缶を開けたら、話題の主が飛びついてきた。

毎食ロイヤルカナンを口にしていると言う贅沢野郎の癖に、そんなジャンクでいいのか、猫よ。

そんな我が家の猫のお話。

 

■一目惚れなんて人間相手でもしたことなかった

名前はゆたんぽ、性別はオス。年齢は推定5歳。好きなものは紐。

ゆたんぽという名前の由来は、ゆたんぽみたいに暖かかったからという今時のDQNネームもびっくりの適当なものである。

彼との出会いは、2年前の秋口だった。

その日、近所のスーパーで開催されていた譲渡会にたまたま足を運んだ。

通算2回目の参加だった。

と言っても、遠目から眺めて「あぁ猫って可愛いなぁ」なんて思う程度に留めておくつもりで。

ところが、なぜか彼は今人間様の缶詰を奪い去って満足気に食い散らかしている。

お陰でビールのつまみがなくなってしまったどうしてくれる。

 

つまるところ一目惚れだった。

なぜだか分からないが、彼を見た時に直感したのだ、「あぁ、俺はこいつと一緒に生活したい」と。

ちなみに、人間相手は今のところ一目惚れどころかマトモな恋のひとつもしたことがない。

年頃の息子が嫁より先に猫を連れて帰省した時の両親の顔は一生忘れない。

すまないが孫の顔は諦めて欲しい。猫の顔ならいつでも見せる。

 

■猫は三日経つと恩を忘れると言うが、こいつは覚えてるクチだ

譲渡会で出会ったと書いた通り、ゆたんぽ氏は飼い主不在の猫だった。

あとから聞いた話だが、彼の前の飼い主は高齢のご婦人だったらしい。病気で入院するのでその間預かって欲しいと譲渡会に要請があり預かったものの、婦人は二週間後に亡くなったとのこと。初お目見えでいきなり引き取りたい宣言を出してきたのが、他でもない俺だったという。

そんな経緯で我が家にやってきたゆたんぽ氏だが、図体の割にコイツ、ビビリ野郎なのだ。

体重は6kg弱と、年齢の割にデブガタイのいいゆたんぽ。

そのクセ、掃除機の音にはビビるし、車に乗せれば降ろせ降ろせと言わんばかりに鳴き続けて挙句足元で寝始めるし、ホント自由奔放な性格だ。お前は猫か何かか。

 

■不細工だけど目だけは可愛いんですよコイツ

2016年現在、世の中は空前の猫ブームらしい。猫カフェが流行し、聞くところによれば犬よりも猫を飼う人の割合が増えたとか増えないとか。

お猫様、なんて言われて甘やかされ放題の猫が多いらしいが、俺は断固としてそういう腑抜けた飼い主にあまんじるつもりはない。

自分のことだって満足に面倒見れないのに、猫の面倒までみていられるか。

そういう強い気持ちで、ゆたんぽ氏には是非とも自立した生活を送って欲しいと強く望むばかりだ。

さしあたってドアくらいは自分で開けてほしいし、開けたら是非とも閉めてもらいたい。ビニール袋は用意しておくので自分のトイレは自分で綺麗にしてほしい。

水が飲みたいからと言って俺を呼びつけるのはやめてほしい。俺はお前専属のドアボーイじゃないと何度言えばわかるんだ。

そんなことを彼には毎日言い聞かせているのだが、エメラルドグリーンの瞳にはクエスチョンマークが浮かぶばかり。言ってることがわからなければ何をしてもいいと思っているふてぇ野郎だ。まったくこれだから猫ってやつは・・・

 

■おわりに

そんなわけで、我が家のゆたんぽ氏の紹介はこれにて終わり。

なんだか書けば書くほど自分が猫中心の生活を強いられているような気がする。

悔しいから今日はゆたんぽを湯たんぽ代わりにして寝ることにしよう。

ナイショの話だけど、この湯たんぽは高性能で朝まであったかふわふわなスグレモノだ。

ほしいって言われても絶対誰にも譲らないのであしからず。

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