ゆたんぽを抱いて寝る。

ゆたんぽを抱いて寝る。

猫のこと、本のこと、アニメのこと、野球のことetc...思いついたまま、気の向くままに。

ゆたんぽを抱いて寝る。

怒るというのも、存外疲れるものなのだよなぁ

このAAもかなり古参ですね

 

職場の人間関係に悩むあなたへ

働かないおじさんとかこどおじとか、とかく最近の社会はおじさんに辛く厳しい風潮があるように思えてなりません。働かないおばさんだっているだろうし、子供部屋おばさん(=こどおば)だっているに決まってます。それはどっちだっていい本題じゃない。

真に多様性を認める世の中を、というのであれば、こういう人たちもいるんだよと認めてあげるのが多様性なのだと筆者は考えています。彼らを認めつつ、だからといってみんな均一な条件で生きるという幻想からは解き放つことが必要なのではないかとも、筆者は最近思うわけです。

そう、多様性ってのは全員が全員同じ立場、条件で生きることじゃあないのです。能力的に秀でた人間にはそれなりの、能力的に劣った人間にはそれなりの見返りがあって、それが当然になる世の中こそが真の多様性社会なのです。や、まぁ現実問題今の日本社会でそれをしっかりきっちり見分けられる、ちゃんとした評価の出来る人間が圧倒的に不足しているという事実が一番の問題なんでしょうけども。

 

好きになってほしいから怒る

「好きの反対は無関心」という言葉がある通り、他人に対してよく怒っている人は、裏を返せばその人のことが好きでたまらないのかもしれません。自分を、自分の考え方を、やり方を、理解して欲しい好きになって欲しい受け入れて欲しい。こういう気持ちの表出の仕方が、怒るという感情に現れるのです。まぁ単純に自分の思い通りにいかなすぎて癇癪起こしてるだけだろって言われたら、そういう人もいるよねという多様性トークで逃げるしかないんですがね。それはもう赤ん坊と同じ存在なので愛でて下さいみんな赤ちゃん好きでしょ筆者は好きです他人の子供と電車内で目が合った時にじっと見つめたりする程度には。

そんな大きな赤ん坊はさておくとして、どんな立場であれ他人を「怒る」という行為はとても疲れるものです。激しく怒るにせよ静かに怒るにせよ、自分の内側にあるエネルギーを外へ――他者に向けなければいけない。その労力に見合った結果が返ってくるかと言われれば、決してそうじゃなくて。だから、他人に対して怒るとか注意をするとか指導をするとか、そういうのは極力やらないっていうのがいいんじゃないかなと思います。そういう人は、放っておいても自然に淘汰されていきます。どこぞの黄色パーカーじゃありませんが、そういう人のことはあぁこの人は頭が悪いんだなぁ能力が低いんだなぁと思うことで怒るという気力すらなくなりますから。それでいいんですよ、怒ったって疲れるだけですから。

 

それはそうと、朝から電車で大声で通話してるクソジジィてめぇうるせぇんだよいい加減にしr

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