太陽誓約結ぶと妙に白霊やりたくなる
ゲームの協力プレイとか超絶苦手
世間様のニュースに疎いのでこの大学生の子が失踪してたって話を知ったのも、今日の昼頃にメシ屋で見たニュースでした。
きっかけは、お昼前のこと。
いつものように仕事の傍らでブログを更新していると、事務のオバチャンがこのニュースの話題を持ち出してきました。「ゲームか何かで知り合ったんでしょ。どうしてゲームで知り合って殺されなきゃいけないのよ、最近の子は怖いわ~」みたいなことを言ってたので話を聞いてみることにしました。
色々言ってたような気がしますが、オバチャンの主張をざっとまとめると以下の二点に集約されたようです
1.ゲームきっかけで殺すだのなんだの意味がわからない
2.最近の子はそういう(ゲームとか掲示板とか)ものでしか人と出会えないのか
これについて、少しだけ持論を書いていこうと思います。
結論から先に言っておくと、
これに尽きるんで、読むのめんどくさい人はここいらでさようなら。
1.ゲームきっかけで殺すなんて意味がわからない
お昼に見た情報番組ではゲームの話について触れていなかったので調べると、少し掘り下げている記事が見つかりました。
たぶんこの記事の内容だと思うんですが、現時点で失踪したことと直前にプレイしていたオンラインゲームに因果関係があるかどうかわかっていません。そうである以上因果関係があったという前提で話を進めること自体が机上の空論になってしまい意味が消失してしまいます。
ですが敢えて議論のテーブルに就くとすれば、筆者個人の考えではゲームのプレイ上でトラブルに繋がる、巻き込まれることはごくごくありふれていて、なんら特殊性はないと思っています。SNSに置き換えてもこの議題は成立しますし、居酒屋でのナンパに置き換えても同じことです。
人と人が交わる以上、どこかでなにかトラブルが起きても、なんらおかしくないんです。ゲームだからとか、対面だからとか、そこに差異はないのです。
2.最近の子はそういう(ゲームとか掲示板とか)ものでしか人と出会えないのか
ある程度年齢を重ねた方にはあまり実感がないかもしれませんが、今や顔が見えない、名前もわからない誰かとメッセージをやり取りすること、それがきっかけで実際に会って交流することは今や当たり前になっています。
Instagramの国内利用者数は2000万人とも言われ、5人に一人がSNSを利用していることになります。利用の仕方は様々ですが、多くの人が今や知らない誰かに向けてなにかを発信し、受け取っている状態なのです。顔の見えない誰かとメッセージをやり取りするのが怖いという考えは最もだしそれを疎かにしてしまえば大変なトラブルに巻き込まれかねないことです。しかし、食わず嫌いのように拒絶反応を示すのもまた、考えものなのです。過敏性ソーシャルメディア症候群(仮称:SNSやネットでのやりとりに対して過剰に拒否反応を示す現代病の一つ、筆者命名)なのです。
今の若い子にとってインターネット、SNSはもはや日常の一部と言っても間違いではありません。それは見方によっては希薄な人間関係と言われるかもしれないですが、そうじゃないんです。彼らにはオフラインの濃密な人間関係が確立していて、その上でインターネット上に新しい出会いを広げているんです。ネット上の友達は決して薄っぺらいものではなくて、顔が見えないだけ、名前がわからないだけで近くの友達となんら変わらないんです。どちらに比重を置いているというわけではなく、どちらも彼らにとっては同じ線上に存在しているのです。
コンテンツが人を殺すんじゃない
平成という時代を振り返っていくと、色んな場面で様々なコンテンツが世間の敵になっていました。
ネオ麦茶事件の時、掲示板が敵視されました。
事件にかこつけて、創作物やフィクションの世界を狭めようとする人たちがいます。
その人達に言いたい。人を殺せるのは人しかいないのだと。
○○に影響されて、なんていうのは都合のいいおべんちゃらでしかないのです。
宗教でもなんでもそう、悪いのは事を起こした人間であってその人の所持品や趣味嗜好じゃないんです。
事実よりも「そっちのほうが面白い」と言う浅薄で軽率な考えの報道に踊らされないで、しっかりと事の真相を見極めないといけない。
それを武器に、表現そのものを殺しに来ている人たちがいます。侵略の足音は、すぐそこまで迫ってきています。
これはお願いでも啓発でもなく自分への戒めになりますが、コンテンツを享受する自分自身が真実を見誤ってはいけないと改めて思いました。
そうしないと、自由な表現そのものが殺されてしまうから。
繰り返しますが、人を殺すのは創作物じゃないんです。
人を殺す力を持っているのは、同じ人だけなんです。