ゆたんぽを抱いて寝る。

ゆたんぽを抱いて寝る。

猫のこと、本のこと、アニメのこと、野球のことetc...思いついたまま、気の向くままに。

ゆたんぽを抱いて寝る。

役割

Switchでツクール出でんのか、時代だな

 

社畜には社畜の役割があって

この世に生きる人間は、皆それぞれ役割を持っているのだと言うのが筆者の持論です。厳密に言うと、役割というより配役と言ったほうが正しいかもしれません。キャラクターには等しく役割があり、それらが物語に奉仕することによって物語は物語りたり得る、というのは創作の師と仰ぐ榊一郎先生の言葉ですが、現実世界もそれは同じことで。LITさんという人間には社畜あるいはもっと別の配役が割り振られていて、与えられたキャラクターとして物語(この場合は他人の人生)に奉仕することが求められるわけです。よく「自分は誰の役にも立ってないんだ」なんて言う人がいますが、他者と関わった時点で善きにせよ悪きにせよ誰かの人生、物語に影響していると考えると、存外誰かの役に立っているんじゃないかと、そう思うわけです。そう、きっと役に立っている。日高屋のタッチパネルがわからず忙しい時間帯に店員を呼び出しているあの老害もきっと、誰かの役に……いや、それはわからない。

 

何者にもならない、それがZ世代

仕事場にも、若い子が増えてきました。新卒は採ってない中小零細企業なので一週間前まで学生でしたとか2時間前に卒業式でしたみたいな子はさすがにいませんが、20代後半でなんとなく社会人やりましたみたいな経歴の子が増えています。

そんな彼等を見ているとなんともジェネレーションギャップを感じる事が多くて。前述の通り人は何かしら与えられた役割を演じながら生きていくわけですが、どうもその傾向が薄い気がします。与えられるものを全て受け入れ脳死になって働くのが昭和の社畜だとすれば、その対極とでも言いましょうか。どんなものであれ、全てに対し一定の距離を取る。まず受け取らない。じっくり見定める。でも決して拒否はしない。代わりに、あらゆる物事において熱量はない。これがZ世代なのだと最近思うようになりました。

とまぁ、そんな彼等をどう相手にしていけばいいかって話なんですが、ぶっちゃけわかりません。とりあえず下に就いた子にはあれこれやらせてますが、良くも悪くも淡々とやります。周りと過剰にコミュニケーション取ることはしません。でもやることはそれなりにやります。

筆者としてはそれでいいんですが、ウチの社長はあまりお気に召さないご様子で。いやまぁ社長の言うことは分かりますが、それを言ったら若い子なんてなかなか採れないよって話になるわけで。

どうしたもんかねぇ……えっ、新しい人雇うんですか? 年齢は…………は? LITさんの一回り年下????

 

 

もうわかんねぇよ、と思うのと同時に一回り年下が仕事場にやってくるとかいう事実に衝撃を受ける30代なのでした。

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