ゆたんぽを抱いて寝る。

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【読書記】「シャーロック・ホームズの凱旋」(森見登美彦)を読んだせいで京都に行きたくなった

高熱の時に見る夢ってたぶんあんな感じ

 

ヴィクトリア朝京都ってなんだよ

皆さんは、「シャーロック・ホームズ」シリーズをご存知でしょうか。霧の街ロンドンを舞台に名探偵シャーロック・ホームズが犯罪と戦う、アーサー・コナン・ドイルの産んだ世界的な探偵小説です。まぁ筆者はちゃんと読んではいないんですが。ふわっとした知識で「最後ホームズは宿敵モリアーティ教授と一緒に滝壺に落ちる」とか「それをやった結果出版社に抗議が殺到した」とかそういうトリビア的な知識だけが無限に詰まっているのが現状です。

そんな筆者がおっかなびっくり読み始めた本作「シャーロック・ホームズの凱旋」なわけですが……結論だけ言っておきましょう。なんも問題なかった、と。そもそも世界的に有名なシャーロック・ホームズ氏は寺町通には住んでないし、そもそも本家本元シャーロック・ホームズの舞台はヴィクトリア朝京都ではないし、世界的な名探偵シャーロック・ホームズ氏はスランプに悩んで寺町通221Bの下宿に引きこもるわけもないし、〈東の東の間〉なんて探偵小説にあるまじきファンタジー要素はやっぱり本家本元シャーロック・ホームズシリーズには1ミリたりとも登場しないのですから。

事件は解かない、外にも出ない、ワトソンと喧嘩はする(それは本家もそう)。そんなダサカッコいいからカッコいいの部分だけを賀茂川にぶん投げた本作でしたが、これはもういつもどおりの森見登美彦ワールドと言っても良いでしょう。レトロな空気が残るヴィクトリア朝京都の中でホームズが、ワトソンが、メアリが、モリアーティ教授が悩み足掻き奔走する姿は、まさに令和の日本のホームズだったと筆者は思います。

 

「ロンドン版シャーロック・ホームズ」はそれもうただのシャーロック・ホームズだから

全五章で成り立っている本作ですが、まさか四章までが霧の街ロンドンに迷い込んだワトソンが手掛けた、ヴィクトリア朝京都のホームズ譚を描いた記録だと、作中作だというどんでん返しはまさに大地をぐるりとひっくり返されたような衝撃でした。

それまでは「ああいつものように世界的名作を面白おかしくパロってる森見登美彦作品だなぁ」と斜に構えながら読んでいた筆者ですが、第五章に入ったところで椅子に座り直しました。そこからの目まぐるしい展開に、ページを捲る手が止まりません。結局のところ、スランプに悩まされていたのはホームズだけでもモリアーティ教授だけでもなく、ワトソンもまたスランプに陥っていたのです。あるいはこの世界の「ロンドン」に現れたモリアーティ教授あるいはホームズが抱える悩みは、在りし日のアーサー・コナン・ドイル氏に付きまとった悩みの種でもあり、つまるところ〈東の東の間〉なる異端とも言える舞台装置を通じて「ロンドン」に迷い込んだワトソンは、あの時間のみ我々の生きる世界線に繋がったのではと思うと、こんな不思議な異世界旅行記を読まされている自分の足元がグラグラと揺れる思いに駆られるのでした。

と、いうワトソンが〈東の東の間〉で見た架空の「ロンドン」記録すら、結局はビクトリア朝京都に戻ってワトソンが加筆した作品の一部だと言われると、もうこれは作者も森見登美彦ではなく森見登美彦の手を借りたジョン・ワトソンなのではないかと思うわけです。全ては彼のスランプが産んだ空想であり、令和のホームズは探偵小説でもなければ心霊小説でもなく、ファンタジー小説ということになるのではないでしょうか。

とはいえ、全ての謎を解き終え、スランプから完全に脱し、探偵引退宣言を撤回したホームズ氏が側にいる以上、こんなぶっ飛んだファンタジー小説はもう生まれる心配はありません。ワトソン氏もまた、スランプを脱したのですから。

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