カバーを他のCDにつけると異世界に混じるおっさんが楽しめます
ダメな男の不器用な恋愛ソング書かせたら天才だと思う
まっきーこと槇原敬之さんのファンです。
それはもう十数年来のファンです。
初めて聞いた曲は……たぶんNo.1という曲だった気がします。
意外、どんなときも。じゃないんだとお思いの方は多いと思いますが、それには今振り返るとそれっぽい理由があったんです。
筆者がちょうどマッキーの歌を聞くようになったのは、ちょうど2000年前後くらい。
まぁ、お察しの通りお茶の間に彼の歌を流せない期間だったわけで。
たまたま家にあったCDに収録されていたNo.1がマッキーとのはじめましてでした。
それが今やコンサートに足を運ぶくらいのファンになりました。
今月末には仙台でコンサートなので、楽しみにしながらアルバムを聞き込みたいですね。
この二曲は同じ引き出しに収納していいと考えてます
今回取り上げたいのはこの2曲。
1曲目は槇原敬之4枚目のアルバムSELF PORTRAIT収録曲「困っちゃうんだよなぁ」
非リア充でガリ勉タイプの非モテど真ん中の主人公がひょんなことからコンパに呼ばれたり挙げ句二次会でディスコに連れて行かれちゃったりする歌。
一番では「うわ、コンパとか場違い過ぎてまじ無理……っていうかボクには図書館で一目惚れした清楚なあの子がいるっていうのに」なんて思いながらも、ちょっとだけディスコっていう異文化に興味を持つんだけど、「えっ、いや急に踊ろう?って言われてもまじ無理無理誰か踊り方教えて神様助けて!!!!」みたいに根暗でヘタレを全開にしてしまう主人公。
そんな主人公だったんだけど、二番では人でぎゅうぎゅうのディスコ会場の中でどこかで見た顔……というか図書館の君を見つけちゃう。ディスコでだよ!思わず声かけようかなって思ったけどなんか自信が持てない。だけど最初から持ってない自信をないものねだりばかりしてないで、ここらでいっちょ変わってみせましょうや!とりあえずつかみでスプーンとか曲げてみる?
こんな感じの物語なんですよね。
どうですか、これぞマッキーの作るヘタレ主人公のお手本!みたいな楽曲でしょう?
ご存知の通り非モテ非リア充の道の真ん中を歩き続けてきた筆者ですから、そりゃあもうドストライクな歌だったんですよね。
コンパはともかく二次会がディスコっていうのは時代感じますね。さすが90年代。
2曲目は槇原敬之21枚目のアルバムBeliever収録曲「不器用な青春時代」
二次元しか愛する相手がいなくて妄想でしか恋愛してこなかった非モテ主人公が初めてときめいた三次元のあの子のことが気になってどうしようもない歌。
一番は「考え事しすぎてまた買ったばっかりのTシャツで手ぇ拭いちゃった……今まで三次元とかクソだと思ってたのにまさか現実でこんな壁にぶつかるとかまじ謎どうしたらいいの。リアルの俺なんて魔法も特殊能力も使えないしなろう系主人公でもないのにあぁまじどうしよう」って考えながらふと壁を見ると、壁にかかった二次元のあの娘がそろそろ旅立ちの時だよ♡って言ってくれたから、ここらでいっちょ頑張ってみますか、みたいな展開。
そして二番では「アニメとかテクノポップとか俺が愛してきたものは決してムダじゃなかったんだ、それは自分で自分にリミッター付けてただけなんだからそんなものぶっ壊しちまえ。なーに想像も創造も音は一緒なんだから、俺だってなろう系主人公みたいになれるんだ」って振り切って愛する二次元のあの娘を胸に抱いて一歩踏み出し、初めて胸ときめいた三次元のあの娘にいいとこ見せたるわ!
そんな物語。
いい意味でまっきーの曲としてはすごく異質な世界観なんだけど、2016年の非リア充の象徴みたいな二次ヲタの物語を見事に描いた楽曲。
コンサートではまっきーが歌っている映像に某動画サイトを模したコメントが流れる演出があったり、コメントでもあったんだけどちょっとボカロ曲っぽさがあったりして、すごく新鮮な曲です。
んで、なんでこの2曲を並べたのかって言うと、時代を経てもまっきーの作る音楽の世界って変わってないなぁということに気付いたのです。
大きくくくればどちらもヘタレな少年の下手くそな恋愛の歌というまっきーソングの中に入ってるんですけど、この2曲ってすごく物語の構成が似てるんですよね。
コンパとかディスコとか派手派手な世界とは無縁だと思っていた困っちゃうんだよなぁ主人公、三次元の女の子なんて恋愛対象じゃないと思っていた不器用な青春時代主人公。
二人とも、ふとした瞬間に「自分の外の世界の魅力」に気付いちゃうんですよね。
そして、ふたりとも気付いちゃったまではいいんだけど、どうしたらいいかわかんないっていうヘタレっぷりを見せつけてくれる。
だけどそこで逃げ出すんじゃなくて、逆に一歩踏み出してみるんですよ。
このあたりがとってもマッキーらしいですよね。
苦手だと思っていたこと、自分には関係ないと思っていたものが実はとっても魅力的な世界で、最初は怖いと思うかもしれないけど、勇気を持って一歩踏み出してみたらきっと新しくて素晴らしいものが待っている。そうやって人は変わっていくし、変わることができる。それはウェーイなイケメンリア充だけが持ってる特権じゃなく、根暗のガリ勉野郎でも、二次ヲタ妄想野郎でも、誰でも変わるチャンスってあるんだよっていう。
たぶん、それがマッキーの恋愛観なのかなって筆者は思ってますし、そういう世界観がすごく好きなんですよね。
1993年の曲と2016年の曲という20年以上も発表に開きがある2曲だし曲調もガラッと違う2曲なんですけど、なんだかすごく似ているなぁと思ったので、取り上げてみました。
Believerは最近のマッキーのアルバムの中でも個人的にすごくスマッシュヒットしている作品なので、ぜひぜひ聞いてほしいと思います。
個人的にはこの「不器用な青春時代」の他にオススメするとしたら「テレビでも見ようよ」という曲を挙げたい。
いつかどこかでマッキーが語っていた「ライフソングを10年くらい書いてきたけど、最終的に究極のラブソングに行き着く」っていうのがギュッと詰まっている究極のラブソングになっています。