扉を開いて 彼方へと向かうあなたへ
この歌声と祈りが 届けばいいなぁ
電話で簡単予約
どうもこんばんは。
猫とお別れしてからだいたい6時間後くらいの世界線からLITさんです。
昨日の記事で猫が旅立ってしまったという話を書きましたが、今日はその後のお話。
人間でも動物でも同じことですが、日本に住んでいる以上、多くの場合亡くなったら火葬をすることになります。最近は動物の葬儀屋さんなんかも増えて便利な世の中になったもので、ネットで調べたら市内にも数件ペット葬儀やってくれるところが存在することが分かりました。
その中で一番近くの葬儀屋さんのHPを見ると、どうやら個別に火葬をやってくれるとのこと。また、ご家庭や飼い主さんの状況に応じてお墓も用意できるという内容が書いてありました。
筆者の場合は昨日も書いたとおりお住いの地域に根を張っているわけではないので、とりあえず火葬のみのプランを電話で予約。猫の体重や名前、性別などを電話で告げると料金と火葬までの流れを電話で説明され、時間もあっさり決まってしまいます。時間は、翌日7月3日の9時からと決まりました。
「可愛い名前ですね」って言ってくれたのが地味に嬉しかったですね。
仕事を終えて家に帰った筆者。さてここで問題が発生。
猫、どうやって葬儀場まで運んでいく?
箱に入れて行くのがなんとなく普通なのかなと思ったのですが、御存知の通りうちの子は体格がよく、丁度いいサイズの箱が家にはありませんでした。色々悩んだ結果、普段使っているベッドに寝せてそのまま運ぶことにしました。病気をする前から寝るのが大好きな子だったので、きっとリラックスして自宅で過ごす最期の時間を送れたじゃないかなと、そんなことを思います。
サンキューぽゆたグッズ達
雲ひとつないような抜けるほど晴天の今日は 悲しいくらいにお別れ日和で
明けて、今朝。
天気は、昨日までの雨が嘘のように雲ひとつない快晴。うちの子は完全室内飼いだったけど、実は筆者と出会う前は外猫だったらしいという話を譲渡の際に聞いていました。だからなのかはわかりませんが、よく窓辺に登って外を見たり、実家の窓から楽しそうに外を眺めていたのをよく覚えています。
そういう意味では、本当に今日は旅立ち日よりだったのかもしれませんね。
まさに蒼穹
葬儀場に着くと、納骨堂に通されます。
受付の用紙を書いている間に、係の人が猫の顔や身体を綺麗にしてくれました。身体の方は随分濡れてしまっていてあんまり擦ると毛が抜けてしまうとのことだったので、軽く拭き取る程度に。それでも、家に居たときよりずっと綺麗にしてもらって、顔も穏やかに眠っているような様子でした。
本当ならばここから納棺、火葬という流れだったのですが、ここで少し問題発生。
思いの外うちの子が大きく、用意していたお棺に入らないという自体に。なので急遽納棺はせず、そのまま炉の方に入れることになりました。結果論ですが、筆者としては炉の扉を閉じるその瞬間まで猫の姿が見えたので良かったかなと思います。
火葬台で眠っている猫。今にも動き出しそうなくらい自然に眠っているようでした。
好きだったものを添えてあげてくださいと言われたので、大好きだったちゅ~ると、カリカリのごはん、それとなぜか大好きでいつも筆者と一緒に食べてた鰹節。それらを口元へ用意してあげました。普段ならちゅ~るは1日1本の約束なんですが、今日は大奮発して2本です。きっとそれでも足りないって怒ってたかもしれませんね。でも食べ過ぎるとすぐまたデブ猫になってしゃあないので、このくらいでいいんです。
あとは、ヒモ遊びが大好きだったので好きなだけ遊べるようにヒモを2本持たせてあげました。荷造り用のヒモだったりビニール袋だったり、ほんと誰に似たのか最期まで安上がりな猫でしたね。いやいやLITさんがヒモだって言う話じゃなくてね? えっ、友人にお前はヒモの才能があるって言われた話? いやそれはまた後日ということでひとつ……
手土産をもたせたら、周りにお見送りの花を添えてあげます。虹の橋まで行く途中の道になるんですって。花道を通って、虹の橋を渡って行くんだそうです。好奇心旺盛に見えてビビリなのでたぶん知らない道でしばらく右往左往してそうですが、元々外が好きそうだったのですぐに走り出していってくれることでしょう。
全部終えたら、炉を閉じる前に写真を撮らせてもらいました。
腕に巻いてあるリボンには、筆者から猫への最後のお手紙が綴られています。6年という長い時間のありがとうはとても伝えきれなかったけれど、少しでも猫に伝わってればいいなぁと思いますね。
そして、炉を閉じる前にブラシで身体を梳かしてあげました。
すっかり使い古してボロボロになったブラシ。これで身体を撫でられるのがすごく好きだったんですよね。実家ではいつも親父に梳かされまくって、毛並みはいつもツヤツヤでした。最期に好きなことしてもらって好きなものに囲まれて、大好きな青空を見られて、猫が少しでも喜んでくれてれば筆者としてもこんなに嬉しいことはないですね。
「ゆたんぽ、ばいばい」
一度言ってからやっぱりそうじゃないなと思って、
「またね」
言い直しました。なんとも締まりの悪い飼い主です。いやまぁこんな日に五体満足じゃないってことがもう締まりの悪いマックスですけどね。
きっといつかまたどこかで会える。あの日気まぐれで覗いた譲渡会でたまたまデビューだったうちの子と運命的な出会いをしてるくらいです。必ずまたどこかで会えると信じてます。
むこうはどんなところなんだろうね?無事についたら便りでも欲しいよ
火葬はおよそ1時間で終わりました。
呼ばれて行くとそこには真っ白な骨になってしまった猫の姿があって、本当に旅立ってしまったんだなぁという実感が急に湧いてきます。係の人に「これが尻尾ですよ」とか「これが指ですよ」とか教えてもらいながら一つ一つ骨を拾って骨壷に入れていきました。
闘病の末に亡くなる子は薬の副作用で骨が弱って残らない事が多いらしいのですが、うちの子は幸いにも投薬は一度きりだったのもあり、ほとんど骨が残ったみたいです。しっかりとした骨がたくさんあって、苦しかったけど最期まで頑張ったのかなというのがなんだか伝わってくるようでしたね。
細かい骨を全部入れ終えたら、最後に頭蓋骨と喉仏を入れて、蓋をして納骨はおしまい。今まで使っていたベッドと同じ青色の新居にお引越しして、全行程は終了です。
帰りの車の中で、ふと空を見上げながら思いました。
猫と一緒に暮らすようになってから何度も実家とお住いの地域を行き来してきた筆者ですが、移動日って晴れてることが多かったんですよね。実家に帰る時は夜間走行ばかりでしたが、窓に登って不思議そうに星空を見上げてたりしてました。思い返せば、うちの子は、ゆたんぽは晴れ男ならぬ晴れ猫だったのかもしれません。
だから、昨日まであんなに雨が降り続いていたのに今日は本当にお天気が良くて。きっと、こんなお天気だから虹の橋から見る景色もさぞかし見晴らしが良くて、風もおひさまも気持ちよくて、走り回るのには最高でしょう。そんなことを思いながら、真新しい骨壷を抱えて帰宅。
祭壇なんて大層なもの賃貸住宅には到底置けないので、棚の上にスペースを作ってそこにお水とごはんを置きました。
今日は暑いところに居たので、アホみたいに水飲みまくってると思います。ホントに水ばっかり飲んでる子でしたので(腎臓は問題ないって言うからコレガワカラナイ)。
ちなみにこの祭壇(仮)、今は筆者のちょうど真裏、ベッドで目覚めるとちょうど視線の先にあるんです。猫のベッドがその近くにあるので、なんだかそういう位置関係でずっと暮らしてきた気がします。
猫とはお互い付かず離れず、ちょうどいい距離感の関係でした。飼ってあげてるとかそういう気持ちは一切なくて、本当に気の置けない同居人と言った感じす。遺骨を入れて持ち運べるアクセサリーの紹介とかもありましたけど、筆者が家を空けている間の留守を猫が守るという関係をずっと続けてきたので、今更家の外に連れ出すのも変かなと思ったりしてます。それよりは、いつも家に居て、帰ってきたらドアの前でにゃあにゃあと出迎えてくれたほうがずっといいのです。本人(本猫?)もおそらくは、そう願ってるんじゃないかなと、まぁ勝手ながらそう思うわけです。
夕方の空。本当に今日は旅立ちにおあつらえ向きの日になったと思う
またいつの日にか出会えると信じられたら、これからの日々も変わらずやり過ごせるね
昨日から今日にかけて、色々と考え事をしてました。
で、思ったのは「なんだかいろんなタイミングが全部いいんだよな」ということ、全部猫が気を遣ってくれたのかな、ということでした。亡くなった朝も、筆者が目を覚ました時点ではまだ息があったり、そうかと思えば出勤の前に息を引き取ったり。下手に仕事中に心配したりしないよう猫なりに上手く頑張ってくれたのかなと思っちゃうんですよね。
それと、昨日はうちの親父がたまたま仕事でお住いの地域に来てました。おかげで、家族の中で筆者以外では唯一、猫の死に顔を見せることが出来たんですよね。筆者を除けば一番懐いていたのがうちの親父だったので、そういう意味ではなんだかほんとにタイミングが良すぎるんです。まぁ、甘えん坊だったから好きな人に逢いたくなったのかも知れないですね。
ゆたんぽの命日はもうおわかりの通り昨日7月2日になるわけですが、すごく個人的には7月2日っていうのもなんとなく座りがいいと言うか、絶妙なタイミングだなと思ったりしてるんです。
というのも、本日7月3日は普段から仲良くさせてもらってる人の誕生日なんですよ。これは筆者の実体験なんですが、自分の誕生日が誰かの命日になるのってね、乱暴な言い方をすれば結構めんどくせぇアレなんです。どうしても自分の誕生日が来るたびに思い出してしまうんです。だから、なーんかこれも猫が勝手に気を回したのかなぁなんて思うと、ほんとこういうところ誰に似たんだか……
あ、いやそれは気遣いの上手さに定評のあるLITさんに似たのかな?
自分に都合のいいことばかり考えてしまうと、このタイミングで病気が見つかって、こんなに早く逝ってしまったことも、あるいは猫に気を遣われたのかもしれないと思ってるんですよね。
いつぞやの記事でクソ舐めた転活してるみたいな話したと思うんですが、ペット可の物件ってやっぱりお高いんですよ。SUUMOとか眺めながら、猫と住める部屋って高いなぁって思ってたのを見透かされたような気がしてならないし、そうじゃなくてもなんとなく転勤なんて話も聞こえてきたり来なかったりしてるのでそんな事情を慮ってたりしたのかなぁ、なんて。
考えてるといろんな事が全部うまい具合に回ってて、それに全部猫が絡んでる気がするんですよね。変な話ですが、もし病気になったのが去年で、去年の遠征事が全部と言わなくても幾分かパーになってたら割と違った2020年を迎えてたかもしれなくて。それも去年は当たり前のように猫が元気だったから留守を任せられたんですよね。なーんかそういうのも含めてすごく猫に色々してもらってたのかなぁなんて思ったりしてます。
食べるのと寝るのが大好きで、
人が魚を焼いて食べてればそんなときだけお利口さんにちょこんと黙って座ってこっちを見てくるようなしたたかなやつで、
そのでかい図体からは想像もつかないくらい可愛らしい声で鳴いて、
透き通るようなエメラルドグリーンの瞳は誰に見せても褒められて、
いつも筆者が帰ると扉の向こうからちゅ~るをよこせと鳴いて、
ひとしきり食べたら「さぁ撫でろ」とゴロンと横になって、
途中でやめると「まだですけど?」みたいな目でこっちを見てきて、
冬になったら筆者の寝てる布団に滑り込んできて一緒に寝る。
そのあったかさは初めてウチに来た時からずっと変わらない、本当に湯たんぽみたいにあったかくて、すごくやわらかくて、お腹はモチモチで。
一緒の時間を過ごせた6年間、毎日ずっとずっと楽しかったね。
またどこかで会おうね。
ありがとう、ゆたんぽ。