ゆたんぽを抱いて寝る。

ゆたんぽを抱いて寝る。

猫のこと、本のこと、アニメのこと、野球のことetc...思いついたまま、気の向くままに。

ゆたんぽを抱いて寝る。

幸せについて話半分に考えてみた

このアイキャッチ前もどっかで使った

 

幸せについて考える心のスペースがあるというのもひとつの幸せ

お年頃のフォロワーが、幸せの定義とはなんぞやという記事を上げていた。

そういうお年頃が自分にもあったなぁ……いや、なかったか? 20代前半は今よりも更に死んだ目で仕事しながらクソ客とクソ喧嘩して最終的にクソデカクレームになってクソ上司にクソ怒られるっていうクソみたいな社畜やってたのでそんなことすら考える余裕もなかった気がする。

当時の自分にとって何が幸せだったのだろう。お金があることなのか、休みがあることなのか、社会的身分があることなのか、恋人がいることなのか(いなかったけど)。思い出そうとしても思い出せないので、やっぱりそこまで考える精神的余裕がなかったのかもしれない。よく病まなかったな、当時の自分。

そう考えると、20代そこそこで幸せってなんだろうと考えることができるフォロワーが、素直に羨ましい。本人がどう思っているかわからないが、少なくとも「幸せってなんだろう」と思考に割く精神的な空きスペースがあるから。当時の筆者にはそれがなかったんだと思う。まぁ、空いたスペースを全部読書とかゲームとかアニメで埋め尽くしてたんじゃないかって言われればそうなんだろうけど。そうやって刹那的に生きて今に至るのが筆者という人間ですね、ハイ。

 

幸せはどこにでも転がってる、ただ見落としてるだけ

件の記事ですでに結論が出ているので、これ以上筆者が書く必要はない。結局のところ、「足るを知る」ということなのだ。

身分相応に満足すること

「足るを知る」の意味は、身分相応の満足を知ること。身分という言葉を聞くと、社会的な地位を連想するかもしれませんが、このことわざでは自分の置かれた立場や今の状況などを指しています。

「足る」とは、十分であること・満たされていること。それが身分(自分の今の状況)にふさわしい満足感、という意味を表しています。したがって「足るを知る」とは、現在の自分の状況に満足する、今目の前にあるものに対して感謝する、という意味に。

引用元

年収2,000万の人には年収2,000万なりの、年収400万の人には年収400万なりの幸せが必ずどこかにあって、そこに気づくこと、それに満足することが大事なのだ。しかし、人間とは欲深い生き物であるのもまた事実。どうしても上を見がちで、年収2,000万の幸せを羨むがあまり、自分の周りに転がっている幸せに気が付いていないことが多いのだ。

極論を言えば、住む家があって雨風が凌げて、布団で眠れる。これだって立派な幸せの一つである。だけど、そこに気づいていない人は筆者も含めて多い。なぜかといえば、いつの間にかそれが「当たり前」になってしまっているからだ。毎日箸と鉛筆を持って腕を上げ下げしていても筋肉ゴリゴリのマッチョマンにならないのは、箸と鉛筆を上げ下げするに最低限必要な筋肉が既に備わっているからで、身体にとってそれが「当たり前」の負荷にすぎないからである。幸せも同じで、生まれてから今日まで毎日布団で眠って三食キチンと食べて、たまのおやつにブラックサンダーを齧って……という日々を繰り返してきたことで、それがいつしか「当たり前」の幸せになってしまって、刺激がなくなってしまっているのだ。

動物と暮らしている人、毎朝おはようが出来る事がいつからか「当たり前」になっていないだろうか。どんなに愛情を注いでいても、いつか別れる日が来るのは避けては通れない。そして「当たり前」は「当たり前じゃなくなった」途端急にそれが「当たり前じゃなかった」と気付かされる。そう思ったら、当たり前だと思っていた毎日が送れていることも、ひとつの幸せに他ならない。

ごはんが美味しい。アニメが楽しい。あのちゃんが可愛い。自分の周りにある全てのものを「当たり前」と思うか大小様々な「幸せ」と思うか。


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人生を面白おかしく生きるなら、筆者は断然後者の考えを勧めたい。年収2,000万はないけれど、ヴィトンのバッグもDiorのコスメも買えないけれど、それでも朝の電車で最寄りからずっと座れたぜラッキーじゃん幸せじゃん。隣に座ったのが眼鏡の可愛い女子高生だったらハッピーじゃん。

こういうインスタントでジャンクな、駄菓子みたいな幸せをいつまでも美味しそうに食べながら生きていくことを、ひとつのラクな生き方として提案していきたい。

 

蹴落とし蹴落とされがちな世の中を生き抜く「意識低い系」というひとつの生き方

現代社会に生きる日本人は、とにかく意識が高い。老いも若きも男も女も資格を取って自分を磨いてスキルアップを目指して、そして大半が疲れて病んでいく。

勘違いしている人がいるのでこの場で明言しておくと、資格を取ってもスキルを磨いても誰もが年収4桁万円のお金持ちになれるわけではない。そもそも順番おかしい。年収4桁万円プレイヤーになれる学力なりスキルなりがある人だから相応の資格や技術を持っているわけで、その資格なり技術なりは残念ながら誰もが手にできるという保証はどこにもないのだ。血の滲むような努力をしても一生司法試験に受からない人もいれば、類まれな才能を持って鼻歌交じりで1,000万稼ぐ人もいる。「努力は裏切らない」なんて言葉は成功者が勝手に言っているだけの綺麗事で、その影には努力に裏切られてきた人が星の数ほどいる。だいたい、頑張れば誰でも1,000万稼げるというなら、コツコツ努力することにおいては世界で類を見ない日本人の大半は年収1,000万プレイヤーになっている。ところが、実際年収1,000万プレイヤーは国民全体の5%しかいない。

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更にここからいわゆる富裕層にカウントされる資産1億円プレイヤーを数えると、全体のわずか2.5%しかいない。

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数字を見れば明らかだ。決して努力が足りなかったわけではない、ただ努力が実らなかっただけなのだ。種を撒いても芽が出ない植物があるのと同じように、スキルや才能の種が芽を出さない、花を咲かせないという人も中にはいる。というかそんな人間が大半なのだ。

だったら、いっそ無駄な努力をやめてみてはどうだろうか。ここでいう無駄な努力というのは、必要以上に資格取得に追われてみたり、スキルアップと称して自分の仕事や学問と無縁のジャンルにひたすら手を出したりすることを指す。ついでに、他人に勝とうという疲れる行為そのものをやめてみる。隣のアイツがイーロン・マスクでも無い限り、そいつも所詮同じ稼ぎ同じレベルの人間でしかないのだから。倒したって何も変わらないことに気付かず勝手に戦いを挑んで勝手に自滅していく人を筆者は何人も見てきた。

職場に一人は、あるいは人生で一度は出会ったことがあるだろう。週に何日も資格の勉強の為にスクールに通っているというので詳しく話を聞いてみたら、今の仕事とまるで関係がない分野の資格だったという人。本人は資格を取って更に良いところに転職したいと意気込んでいるが、そもそもその仕事は資格だけで未経験でもなれるものなの? と疑問が拭い去れない。「資格を取る」ことが手段ではなく目的になってしまっていて、そこに時間を割くあまりプライベートやメインの業務そのものが滞ってしまい、結果的に時間がない余裕がないと病んでしまう。資格を取れば即座に1,000万プレイヤーになれると思ったら大間違いだ。1,000万稼ぐ人間はその資格を学生時代に取っている。学生時代に取れなかった時点でもう差はついている。同じ資格を今取ったところで、その差は埋めようがない。新卒で資格持ってる未経験者と5歳年食ってる未経験者だったらどっちを採用する? 当然、前者だ。だったらそんな無駄な努力なんてやめちまったほうがいい。スクールに通う無駄な時間と金を、旨いメシ屋で飲み食いするのに使ったほうがよほど良い。膨大な金と時間を注ぎ込んで使えもしない金にもならない資格と言う名のゴミクズしか手に入らないのと、行きつけの町中華をひとつ作って週末に餃子とビールで乾杯して良い心持ちになるのどっちがいい。筆者なら確実に後者だ。

東大の大学院を出ても職にあぶれてニートやってる人間がいるのが現代の世の中だ。五流国立大卒中小企業勤務の時点でどう足掻いても5%にはなれないのだから、上を見ることをすっぱり諦めてしまえば良い。95%の人間は2,000万どころか1,000万プレイヤーだって夢物語にすぎない。だったら、自分を人と比べること人と争うことをやめてしまおう。隣の誰かに勝ったところでどうせ1,000万プレイヤーにはなれない。誰かを蹴落として上に這い上がっても、またそこに蹴落としたい誰かがいる。もう社長になるしかない。いや、社長になったところで今度は他社と戦うことになる。一度戦いに身を投じたが最後、ワーホリとして仕事が趣味になるまで突き詰めるか途中で病むかするまで戦い続けることになる。負けることに対する恐怖にずっと追われることになる。そんなバカげたこと、すぐにやめてしまおう。何度も言うが、そうやって戦ったって1,000万プレイヤーになれるのは本当に一握りなのだから。

出来ないことはやらないと割り切ろう。手の届く範囲の幸せでお腹いっぱいになろう。目覚ましい昇進もずば抜けた昇給もスパッと切り捨てて、安いツマミを肴に安い酒を飲み、Youtubeタイムマシーン3号の動画を見ながら酔っ払う。そしてたまの贅沢に日高屋で飲んで帰る。それでいいじゃないか。

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遊びに金が掛かるという人がいるけれど、こんなに無料であるいは安価で遊べる世界に生きていてどこに金がかかるというのか。スマホゲーは基本無料、Youtubeも別に広告を気にしなければ毎日無限に近い動画が上がる。アマプラなら年間5,000円で見きれないほどの番組が楽しめる。金のかかる遊びは金を持ってるやつがやれば良い。東大に入れなくて高級官僚にも高給取り外コンにも入れなかった時点で、ザギンでシースーはフィクションだと諦めよう。金がないなら金がないなりの楽しさ、幸せを食べて生きていこう。

がんばらない、他人と比べない、勝とうとしない。こういう「意識低い系」な生き方が疲れなくていいと思う。仕事で敵と戦いすぎて精神ボロボロになって寝て過ごす休日よりも、仕事のことなんて寝て起きたら全部忘れて動物園でプレーリードッグ見て過ごす休日の方が、筆者は好きだ。

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