まあまあ棒
穏やかな春の陽気に誘われて
この間までコートにタイツだった女子高生が、徐々にブレザーに生足へと変わりゆく姿に、春の訪れを感じる今日このごろ。皆様いかがお過ごしでしょうか。
このブログ、はじめは自分が見返すために書いていたものがいつの間にか友人知人にも知れ渡り(Twitterで通知出してるのでそれはそう)、もはや友人知人の枠を超えて全く知らない誰かにも読まれているということに最近気づきましたいえーいもちゆうさんの後輩くんみってるー?
そんなわけですから、これからは節度ある記事づくりに心がけようと夢の中で思った気がしますが全然まったくそんなことはありません。制服の女子高生は可愛いしタイツもいいけどやっぱり朝から生足JK摂取すると社畜に臨む心構えがまるで違うというかもはやリポDなんじゃないかなとかそういう気持ちの悪いことをこれからも書いていきます。
5chに負けないくらい便所の落書きのようなブログをこれからもどうぞよろしく。大丈夫ですギリギリの節度はきっと弁えてるつもりです。前座の女流噺家の名前を挙げて「錦明竹聞きながら舐めたい」とか書かないですから。いや、それは流石に気持ち悪すぎでは? というかなんで錦明竹? そこは御一門というか師匠が師匠なんだから明烏の方がなんかこう雰囲気あってよくない? とかは書きませんから。えっ、何の話かって? やだなぁ、例え話ですよ例え話、フィクションですって。ハハッ。
怒るエネルギーを他に使いたい
「LITさんは若いのに落ち着いてて、あんまり怒らなそうだよね」
最近、仕事場でこんなことを言われる機会が増えました。他人からそんなふうに見られているとはちょっと意外です。こんなに社会に対して怒りを露わにしている人間は他にいないんじゃないかと思っているのに。
えっ、ただの眼鏡気狂いだって? さて、なんのことやら……
実際、職場で喚き散らしたり怒り狂ったりみたいなことって考えたらないなぁ。もちろん怒ることがないほどに素敵で働きやすい最高の職場――だなんて言うつもりは全然なくて。それこそ、20代の頃は結構キレ散らかしながら仕事していたものです。
電話叩きつけて当時の上司にクソ怒られたりもしたしね。そういうことを繰り返していくうちに、今の自分が仕上がっていったんだと思います。
結論から言うと、怒らないというより怒るのもめんどくさいんです。もっと言うと、怒ってまで他人にどうにかしてほしいという気持ちが殆どない、そこまで興味がないんです。
経済学者で○-□の眼鏡でお馴染みの成田悠輔先生がどっかの番組ですごくわかりやすい説明をしていたので引用させてもらいます。
あー、そうそうこれ、まさにこういうこと。
怒るってことはそれくらい相手に敬意があって、自分を理解してほしいと思っていて、変わってくれると期待をしていて、だから怒りの感情が向くんですよ。筆者を始め怒らない人の多くは、そこまで相手に興味がない、期待をしていていないんです。
どうせ言ったってどうしようもない、が先に来ちゃうんですよね。だから怒らないし、何を言われてもそれこそこちらに怒りの感情を向けられても「あーはいはいすごいですねー」くらいにしか捉えないので、怒りようがありません。興味ないんだもん。
好きの反対は嫌いじゃなく無関心という言葉がある通り、仕事で関わる人間に対しては基本無関心で居るのが筆者の姿勢です。関わるほど興味も期待もないし、仕事が円滑に回りさえすればそれで筆者は構いませんのでね。
筆者が好きなのは眼鏡がよく似合う可愛い女の子と動物だけです。あと無条件でメシをごちそうしてくれる人も好きです。よろしくどうぞ。