上方落語もそろそろちゃんと履修したい
小痴楽師匠のが好きですね
「蔵前駕籠」という落語がありまして。
別に志ん朝の落語をちゃんと聞く必要はまったくないんですが、あらすじはこんな感じ。
蔵前通りという日本橋から吉原に続く通りがあって、そこは昔治安が良くなかった。夜な夜な追い剥ぎが出るというので、なんとか追い剥ぎに遭わない方法はないものか……と考えた客の取った奇策とは一体。
この噺、短いし寄席でもけっこうかかる噺だしで好きなんですよ。いや、けっこうかかるは嘘かもしれない。あんまり演る人いないかも。小痴楽師匠が一時期結構やってたのと筆者が小痴楽師匠好きなのもあって印象に残ってるだけかもしれない。
まぁその蔵前駕籠なんですが、店で飲んでる時隣に座ったお客さんから言われたんです。
「蔵前通りと吉原の位置関係とか距離感がわからへんかってん」
関西の方なので当然と言えば当然なんですが、たしかにわからんよなと。確かにあの噺って、蔵前通りがなんとなく日本橋のあたりを指すっていう知識ないし体験や吉原が浅草のあのあたりにあって、というやっぱり知識であったり実際に歩いたりっていうのが無いと舞台の想像が難しいよなぁと、ハッとさせられました。
落語ってそんなに想像力も事前の勉強も要らない気楽な娯楽だよーなんて日頃から言ってましたが、なるほどたしかにある程度のバックグラウンドっていうのは必要かもしれないですね。
百聞は一見にしかずとはよく言ったもので、何事も実際に見てみる、行ってみる、やってみるっていうのは大事なものです。大人になって、ネットでパパッと調べて簡単に回答を得るっていうことに慣れすぎてて、ややもすれば忘れがちなこと。こういうことに気付かせてくれるので、酒の席で人と下らない話をするっていうのは楽しいなと思う瞬間でした。
「近所にある公園が所謂プレイスポットだったんやけど――ところでお兄さん、外でヤッたことある?」
いや、それはねぇよ。
「あらへんの!?」
ねぇから。
江戸落語と上方落語の違い
「えっ、江戸の落語って見台使わへんの?」
関西で育った人にとっては、高座にあって当たり前のものそれが見台と小拍子。
筆者の場合は江戸落語と出会うほうが先だったのもあって逆に新鮮な感覚だったんですが、たしかに東京と大阪の落語で1番の違いはって言われたらそこですよね。ありがたいことに最近は、こと芸協の寄席には上方枠もあるしなんだったら末廣亭は笑福亭羽光師匠がトリを取るくらい上方落語に触れる機会も増えてきましたが、
かつて、僕たちは座布団の海で戦った。
— 笑福亭羽光(中村好夫) (@syoufukuteiukou) 2023年3月1日
3月下席。〔21日~30日〕末廣亭夜席の主任興行是非お越しくださいませ。https://t.co/gcpYDSvQOz pic.twitter.com/fCEzU6fdsH
まだまだ関東以北の人にとっては馴染みがありません。
そもそも、江戸落語と上方落語はルーツが違うと言われています。
江戸落語は前提として寄席小屋があって、そこで芸人が高座に上がるものです。バンドで言うならライブハウスがあってライブをやる、対バンするっていうのが寄席小屋のスタイル、江戸の落語です。
一方で、上方落語のルーツは大道芸だったと言われています。
道端で噺家が喋る、そこで足を止めてもらうために小拍子だったり三味線だったりが用いられて、それがそのまま上方落語の形になっていったそうです。江戸と違って小屋がないので、どうにか興味を惹かなきゃいけない。だから落とし噺や滑稽噺で人を笑わすっていうのが多いともいいますね。
「言われてみれば、上方で芝浜とか演る人あんまおらへんなぁ」
隣のお客さんも、そんなことを言ってました。もちろん上方落語に全く人情噺がないってわけでもなくて。一文笛っていうそれこそ米朝作の名作があるんですが、
これも上方らしく人情噺っぽく見せてちゃんと落とし噺になってるんですよね。
なんて書きましたが、やっぱり上方落語の雰囲気とか空気感って現地に行かないとわからんだろうなと。繁昌亭に行くだけの大阪旅行とか、行きたいもんですなぁ。何事も体験が大事です。
「Twitter見てコンセプト系のバーかと思て行ったら身分証と保険証確認されてん。そこな、コンセプト系やのうてハプバーやってん。お兄さんハプバーって行ったことある?」
いや、だからねぇって。でもちょっと気にはなりますよね。摘発に巻き込まれると全裸で連行されるらしいんで流石に飛び込む勇気はありませんが。ハプバーレポ書きたいという気持ちとブログやってる人間として、やっぱり一度は風俗レポ書きたいっていう気持ちは捨てきれません。