ゆたんぽを抱いて寝る。

ゆたんぽを抱いて寝る。

猫のこと、本のこと、アニメのこと、野球のことetc...思いついたまま、気の向くままに。

ゆたんぽを抱いて寝る。

エンタメは耳が出来ると楽しいんだよなぁ

ラランドのラジオも楽しく聴いてます

 

ラジオは想像力が要るらしい

子どもの頃はテレビっ子だった筆者も、いつの頃からかラジオにエンタメ性を見出すようになり、最終的には1分足らずのショート動画に行き着くという時代についていってるんだか逆行していってるんだかわからない状態に陥ってます。

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前に、どっかの記事で読んだのか電車の中でクソ頭の悪そうないかにも地雷系を素で行ってそうな女子同士が話しているのを聞いたのか忘れましたが、ラジオを聞くというのもある程度訓練が必要な遊びなんだそうです。

今でこそ「ある程度売れている人が電波に乗せて喋っている」という形が一般的になりましたが、筆者がクソガキだった頃は割とまだそんな時代じゃなくて。というか今も大半はそうですが、ラジオDJの顔なんて知らないっていうのが普通だったんですよね。知らない人間が自分の知らない土地で起きたことを面白おかしく喋ってる、という結構な縛りプレイだったんですが、それでも当時聞いていたラジオのことは今でも思い出して懐かしんでしまうくらい楽しかったんですよね。

なんだかんだ時は流れて、その人の番組をお住いの地域のコミュニティFMで聴いたときはちょっと感激したものです。

 

講釈の耳が出来ると、講釈を聴く楽しさが分かってくる

講釈、あるいは講談。落語と並んで、というより歴史を紐解くと一節によれば落語より古い演芸として知られている演芸なわけですが、悲しいかな落語よりも知名度としては一歩後ろに下がった位置取りに甘んじている現状があります。

いやまぁ筆者もろくすっぽ講談を聞かずに育ってきたし、ちゃんと聞けるようになったのもここ数年の話なんで偉そうなことは一切言えないんですけどね。やっぱりね、きっかけって大事だと思うんですよ。筆者の場合はひょんなことから6代目神田伯山先生のラジオ番組を聴くようになって、そこからご自身のYoutubeチャンネル、寄席の高座と順を追って行ったわけですが、なかなかどうして出会いの場って少ないよなぁとは思うわけです。あと、これは講釈師がよく言ってますがなんだかんだドロドロした読み物が多いですからね。ぶっ殺したり呪い殺したりと、まぁ血腥い台本が多いのは確かなんでしょう。でも、ちゃんと聞けるようになってくるとこれもまた、落語とは違った楽しさがあるよなぁとここ最近は思うようになりました。

 

柳沢昇進録より『隆光の逆祈り』という噺を聴きました。読み手は人間国宝神田松鯉先生の末弟にして、今年から二ツ目に昇進した神田鯉花さん。前座時分に何度か高座は拝見していましたが、二ツ目になってからしっかりと高座を拝見するのはこれがはじめてのこと。いやぁ……びっくりするくらい上手くなってた。声の出方が違う。そして、引き込まれるような読み方、空気感。憑依型とあらわすのが正しいのかそうでないのか、ちょっと測りかねるところがありますが、まさにそんな感じのいい高座でした。

もう一本、同じ会で演ったのが『大名花屋』という筆者が好きなお話。

シンプルながらもホッとする、いい感じのラブコメなんですよね。さほど長くないのもあって寄席でかかることもあるような講釈なので、もしかしたら寄席でも聞けるかも知れないですね。

 

講談に関しては本当にひょんなきっかけだったわけですが、なんやかんや芸協の寄席に通っていると講談にふれる機会も多いわけで。連続物を毎日聴くっていう、本来の楽しみ方もいつかちゃんとやりたいものですね。

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