ゆたんぽを抱いて寝る。

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猫のこと、本のこと、アニメのこと、野球のことetc...思いついたまま、気の向くままに。

ゆたんぽを抱いて寝る。

小学校で英語が必修になったことで中学校英語のスタートラインがめちゃくちゃ上がってるってまじ?

ほんとこう言うの好き

 

掘った芋いじるな

「中学1年の英語が今ヤバいことになってる」

そんな話を同僚がしていました。聞けば、1年時の授業開始時点で基本的な文法やある程度の単語を理解している前提でスタートするとのこと。

筆者の記憶だと、中1の英語なんてのはABCの書き方やABCの歌で順番を覚えるといった、基本のキから始めていたわけです。なつかしいですね、Fが好きな人は自分に素直……えっ、違うの!? そっちじゃない??

 

あれはケンですか? いいえ、あれは鉛筆です

なぜこんな事になっているのか。可哀想なのは子どもたちで、ヨーイドンの時点で格差が発生してしまっているのです。またまた、LITさんってばすぐそうやってアンチ学習塾ムーブかますんだから。だめだよ教員サイドに立って塾や予備校を頭ごなしに非難するのは自称進学校出身ってすぐバレちゃうんだから。

と、いうわけでもないからこまってるんです。

この格差を生んでいるのが、どうやら小学校の英語学習らしいのです。小学校高学年になると、まるで昔の中学校英語さながらに単語や文法を教える学校が増えているのだとか。そして問題なのは、すべての学校で同じレベルの学習がどうやら出来ていないということ。小学校の英語到達度と中学校の英語スタートラインがうまく連携できていないこと。この2つが重なった結果が冒頭の惨状なのです。

 

とりあえず言えるのは、まだまだ日本は英語後進国ってことよ

どうしてこうなったって話を探る前に、ひとつだけ補足です。今まで散々小学校における英語学習と表記してきましたが、厳密に言うと小学校は「外国語活動」になります。言葉の通り、「外国語」であって「英語」ではないのです。ロシア語でもいいしマレー語でもいいし、エスペラント語でもブロント語でも


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アッハイ

 

なーんでこんなことが起きるのか。

とりあえずこういう時は基本に立ち返って見てみましょう。

 

そうだね、学習指導要領だね!

 

昔はどこのご家庭にもあったでお馴染み学習指導要領ですが、今はネットで見られる時代になったのもあって、置いてないご家庭も増えてきましたね。えっ、お前らの家に学習指導要領なかったの俺もだよ何いってんだ頭湧いてんのか

 

https://www.mext.go.jp/content/20230120-mxt_kyoiku02-100002604_01.pdf

(小学校学習指導要領 平成29年3月告示)

 

まずは同僚の話にあった「高学年になったら急にガチの英語学習始まった」という話。これはその通りで、2020年から施工されている現行の学習指導要領において、5年時からは「外国語」という「教科」になっています。中身を見れば、聞く、読む、話す、書くといったコミュニケーションの基礎を定着させるのが目的とあります。そのための学習として、たとえば読み書きにおいては基礎的な肯定文や否定文、頻度の高い連語や慣用表現の学習も含まれています。

これはイメージになりますが、昔の中1英語くらいのレベルですかね。もちろん読み書きが目的ではないのでここに力を入れて単語の書き取り100回みたいなことはさすがにしてないとは思いますが、ある程度の基礎は身につくんだろうなと言った印象はここから受けます。

中学については詳しく触れると長くなるんで割愛しますが、小学校の基礎をしっかり定着させつつ発展させましょーね、的なことが書いてあります詳しくは読め。

 

https://www.mext.go.jp/content/20230120-mxt_kyoiku02-100002604_02.pdf

(中学校学習指導要領 平成29年3月告示)

 

んじゃあ、どーしてここまでしっかり学習指導要領に書いてあるにも関わらず、こんなに小学校ごとに格差が生まれてるのか。可能性の話になってしまいますが、小学校高学年における外国語教科の扱いがまだ定まってないのかなと。教科書まで見たわけじゃないので推測の域は出ないんですが、結局学習指導要領における目標に対して学習が噛み合ってないんだと思うんですよ。

小学校においては、目標に主眼をおけば最終的な目標が外国語コミュニケーションの基礎を養うことなわけです。そのための手段として基礎的な文法表現を学習するわけですが、文法の持つ意味や働きをすっ飛ばして教えること可能なんですよ。なんとなく英語で友達と自己紹介しあえるようになりました、ヨシ! みたいなね。それは極論かもしれませんが、近いことをやってなんとなく小学校における外国語教科を修了としてしまった子と、中学英語との連結を意識して文法の持つ意味や働き、構造にも触れて学習してきた子。読む、書くという分野においてこの時点でものすごい差が生まれるのは当然のことです。

筆者は現役教員でもなければ教育学者でもないのであくまで素人考えになりますが、「話す」「聞く」の根底にはやっぱり「読む」「書く」が大事だと思うんですよね。知識として単語が、文法が頭の中に入っているからそれをアウトプットできるのであって、それをすっ飛ばして言語活動=スピーキング! 英会話! と言う思考の教員が学習計画を立てて授業した結果がこういう悲劇を生んでるんじゃないのかなぁ……と思ったり思わなかったり。

まぁ、現場見てないんでよく知らんけども。

ちなみに筆者は喋れもしないジャパニーズイングリッシュをぶん回して知らない外国人と駅で喋って帰るみたいなことをたまにやってますが、まじであいつら日本人相手でも容赦なく高速で話してくるからな。ちょっとは配慮しろ(被害妄想)

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