安楽死ジェットコースター
死について考えられるのは生きてる間だけ
みなさんは、一度くらいは己の死について考えたことがあるんじゃないでしょうか。タイミングは人それぞれですが、例えば大病を患った時、例えば身近な人を喪ったとき。客観的事実を目の当たりにした時、人は自らの死というものを意識するのだと、筆者は思います。
昔はピンピンコロリなんて言葉があった通り、元気に生きて眠ったまま起きないのが理想の死に方。これに異を唱える人はなかなかいないと思いますが、これが結構難しい。寝たきりになり四肢も満足に動かせず、点滴と胃ろうでとりあえず『死んでない』まま10年近く生かされ続ける。嘘みたいな話ですが、こう言う人はザラにいます。だったら、元気なうちに安楽死を選ぶ権利があってもいいんじゃないかと筆者は考えます。
っていう話を忘年会でして若い子にポカンとされた馬鹿野郎なLITさんです。20代の若者はそんなこと考えんよなぁ、うん。
生かされるだけなら死んだほうがマシじゃない?
安楽死。現代でも度々議論されますが、なかなか今の日本では進まないのが現状です。諸外国では末期症状の患者に対して安楽死を認めている国もありますが、日本ではそれすらまだ認められそうにありません。
ならば先ず、安楽死が認められるケースを作るのが第一ではないでしょうか。例えば末期の癌を患って助かる見込みがない患者に対して、今までなら治療をするかしない(緩和ケア)の二択だったものに安楽死を加えるとか。家族がいたら家族の同意を必要とするなど条件は付くでしょうけれども、まずはそこから始めていくのはどうだろうかと思うわけです。助かる見込みのない治療で財産も精神も摩耗していくくらいなら、少しでも多く遺したい人に遺せて、本人も穏やかな気持で生を終える方が、あるいは幸せなんじゃないでしょうか。まぁ、個人的にはもっと幅広く気軽に安楽死が使えるようにしたらいいのになとは思いますが。
生きる権利があるならそれを自由に辞める権利も当然あるべきだよ
ここまで書いてきたのは、あくまで終わりの見えている命の火を自分で消せるようにというお話。だけど筆者としてはそうじゃなくて、もっと根本的に、生き方の選択の一つとして安楽死を置くのも有りなんじゃないかと思ってます。辛いいじめや虐待を受けて生きるのがしんどくなった時、いざとなれば痛みも苦しみもなく生を終わらせられる道が用意されてたらいいなって思います。どうせいじめや虐待や貧困は改善されないしこれからもっと増えていく問題なのだから、児相や生保のようなセーフティネットのひとつとして安楽死があってもいいわけです。死を悪だと、罰だという既存の概念を唾棄して、死もまた生における選択肢の一つだと、尊重されて然るべきだという考えを筆者は推進していきたい。
同時にそれは、生を太く短く充実したものにしたいという意欲にもつながると思っていて。自らが衰え他者の助けなくては生きられない身体になってしまう前に、人生のピークでスパッと終わらせる。健康で幸せでやりきった気持ちで生を終える。そういう選択肢があるってだけで、将来に対する不安が解消されるわけです。将来への不安がなくなれば、人は今に全部を捧げられます。活動のパフォーマンスは大いに上がることでしょう。
ここまでくると最早安楽死の名を借りた合法的かつ人道的な自殺幇助な気もしますが、病気や寿命でしか死ぬことを許されない風潮そのものはもう変わるべきだと思ってるので、それでいいと思います。自殺じゃないんですよ、生きる権利には当然至極全うに死ぬ権利も含まれてると言いたいんです。