ゆたんぽを抱いて寝る。

ゆたんぽを抱いて寝る。

猫のこと、本のこと、アニメのこと、野球のことetc...思いついたまま、気の向くままに。

ゆたんぽを抱いて寝る。

猫と暮らしたいな

ニャンコ先生

 

猫はペットだったのか家族だったのか同居人だったのか

「ペットも家族」ここ数年、特に聞く言葉です。難しい話題だと思うのですか、法律的には家族でも同居人でもなく、飼い主の「所有物」扱いになります。ただまぁ、今はそんな法律の話をしてるわけではなくて。

猫を見送ってもう3年半になりますか。振り返って思うのは、やっぱり猫は「同居人」というポジションが1番近かった気がします。お互い気を遣うことなく、同じ部屋で自由気ままに生きる。それが猫にとって幸せだったのかはわかりませんが、少なくとも筆者にとっては幸せな6年半でした。

いつか生まれ変わって会いに来て――いや、やめておきましょう。筆者はアンチ輪廻転生一撃極楽浄土派なので、生まれ変わりはないと思ってます。だから、いつか自分が荼毘に付すときには、向こうで再会出来ると勝手に決めつけて今ここに居ます。

生まれ変わりなんてそんな、ねぇ? つば九郎が乙女ゲーに出る時が来たら少し信じます。

 

 

 

 

 

 

あったわ。

なんだこれ。

 

 

なんだこれ()

 

無償の愛なんて、対価を求めたことのない人間が言う、甘っちょろい戯言でござるよ

猫と暮らした時間は、ずっと猫にたくさんのものを貰いっぱなしな時間でした。

猫って生きてるだけで大正義じゃないですか。そのごはんを用意したりトイレを掃除したりすることなんて、筆者にとっては全然苦じゃないことで。猫のことはずっと、それは今でも世界で一番大好きで、その猫のためにやることは結局自分の幸せなんだって気付いたのは、猫と別れてからのことでした。

筆者は人の親になったことがないしこの先なる予定も願望もないので子を持つ親の心境はわからないですが、あるいは子育てしてる人の親ってこんな心境なのかなと思ったりもして。猫が困ってたらなんとかしてあげたいし、猫が楽しいな、幸せだなって思える後押しができるのなら、そこに苦労とか大変とかはないなって思います。結局は、猫の楽しいと幸せを見てる時が一番楽しい時間なんだなって時間が経って、あるいはいろんな経験をしながら思えるようになった気がします。

見返りは要らなくて、ただひたすらに自分にとって大事だと思える存在が幸せであれるように頭と身体を使うこと。これを無償の愛と呼ぶのかは知りませんが、そうなのだとしたらそんな甘っちょろい戯言の方が、筆者は好きでござるよ。

嘘を吐きました。見返りも欲しいです、人間だもの。筆者を巻き込んだからには、どう転んでもいいから幸せになってほしい。ただそれだけです。LITさんのことは踏み台にでもしてください。猫がそう思ってたのはわかりません。


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