
なにこれ面白そう
部屋が汚いんじゃない。衛生観念が終わってるだけなんだ
汚部屋、ゴミ屋敷問題。2025年が終わろうとしている最中でも、解決の糸口が見えないどころか、どんどん深刻化していく大きな問題です。いろんな人間がいていろんな生活がある中で、どうしても社会に適合しきれない人間というのは一定数いて、そんな彼または彼女に差し伸べる手が実はないというのも、また大きな事実として我々の前に立ちはだかっているのだと、ふとした瞬間に思い知らされます。
ギリギリのところで障害者手帳が持てなかった人。医療負担は3割、ギリギリ定職に就くことは出来ても派遣や非正規で給料は然程もらえず、とは言え色々な理由で生活保護を受けることもできない。精神から来るのかはたまた別の問題から来るのか、実は部屋中にゴミが散乱し、その中で無数のゴキブリを始めとした虫たちが産卵を繰り返している惨状が明るみになる時、すでに彼または彼女は社会の中で生きる場を失ってしまっているのです。
という社会問題に切り込むブログではありませんのであしからず。
シンプルに筆者が人生の節々で自宅をゴミの山に変えてきたという話を、飲み屋でしたというただそれだけの話です。ほんとね、人間を家に呼ばないと強い意志で決めてしまうと、こんなにラクなことはありません。部屋は汚し放題です。退去の時に片っ端から捨てていけばいいだけですから。
という話をすると、脱いだ服を散らかしっぱなしにしてるとか洗い物でシンクが占拠されているとかそんな想像をされることが多いんですが、違うんですって。こちとら持ってるだけで使わない掃除機があるとか、冷蔵庫や冷凍庫で終わってる食材を平気で次の調理に回すとか、そういう話をしているんです。気にならないのかと言われれば、これが全く気にならないからそうしているのです。毎日風呂に入って毎日洗った服を着ているのだって、あるいは生きていくため毎日社会の中で生きることを強制されているが故の行いであって、これが仮に社会と交わらなくても生きていけるようになったら、まじで風呂キャン界隈もびっくりな生活になる自信しかありません。
真っ当に生きる以外のことなら大抵のことは人並に出来るんですけどねぇ。困ったことに、仕事はそこそこ出来てしまうんだこれが。ボーナスがもらえる会社で良かった。
その人そのものじゃなく、その人を通じて作品しかみてないんだろうな
推しというものが一生できないという話をどこかで――しましたっけ。
してました。
推しができない理由として、筆者が誰かの生み出す作品は愛せども、その人それ自体を愛することは絶対にできないのだと、人間と話をしていて客観的に見えたからなのだと、最近ようやっと言語化できました。要約すると、自分を含め人間に興味がないのです。
そんな事を言うと厨二病も大概にしておけと言われそうですが、人間に興味が持てていたらもっと真っ当に友達も作っていたし、友達と過ごすという行為に魅力を感じていただろうし、恋愛もしていただろうしそのために身嗜みを整えたり自分磨きに金と時間をかけていたハズなのです。
それをずっとやらないでいたということは、それはもう人間に興味がないと言っても良いのではないでしょうか。誰かが生み出す歌、誰かが作り出す物語、ひいては人間同士のが生み出す不確定な物語が筆者は好きであって、大元になっている「人間」という存在それ自体に興味が全くと言って良いほどない。そんな自身の客観視、俯瞰視が最近のマイブームです。まぁ、めんどくさいじゃん、人間って。っていう話。