ゆたんぽを抱いて寝る。

ゆたんぽを抱いて寝る。

猫のこと、本のこと、アニメのこと、野球のことetc...思いついたまま、気の向くままに。

ゆたんぽを抱いて寝る。

家族のかたち

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お前も家族になれでお馴染みのファミパンおじさん

 

そういえば喧嘩らしいことをしたことがない

仕事帰り、行きつけのジムに行こうとしたら休館日だった。そういえば毎月15日だか16日だか17日だかは休館日だったっけ、というのを前日くらいまでは覚えているのだが、どうにも当日になるとすっぽり頭から抜けていってしまう。泥棒にでも盗まれているのだろうか。だとすれば、相当偏屈な泥棒に違いない。

そのまま帰っても良かったのだが、せっかくお風呂道具も持ってきたことだし、近くのスーパー銭湯に舵を切った。車で十分も掛からないし、何より遅くまでやっているのが魅力的だ。おまけに安い。疲れ切った体と心を適度な運動で癒やすこともいいのだが、熱いお湯に浸かって汗を流すのも悪くない。

銭湯は平日の割に混んでいる印象だった。あるいは、これが土日ならば人を洗うような混雑に見舞われることもあるのかもしれない。シャワーで軽く汗を流し、湯船に浸かり考え事をした。仕事のこと……は考えてない。大抵、仕事のことは仕事が終わればすっぽり抜け落ちてどこかへ行ってしまうからだ。逃げ出していった記憶はそのまま穴に落ちてしまい、追いかけてきた女の子と一緒にトランプの国に行って戻ってこない。余談だが、筆者はちゃんと不思議の国のアリスを読んだことがないので間違っていたらこの場を借りて謝罪する。少なくとも、VRゲームの世界でアリスのアバターを持った少女がウサギやら伯爵やらにぶち犯されるストーリーでないことくらいは知っている。

ぬるいお湯でたっぷり温まった後、更に身体を痛めつけるべく併設するサウナへ。突然のご報告になるが、筆者はサウナが好きだ。サウナはいい。死ぬほど汗が出る。汗と一緒に身体の中の余分三兄弟も一緒に出ていくような気がする。つまりはサウナに入れば実質カロリーゼロと一緒なのだ。そう信じてサウナの後に飲むビールの美味いこと美味いこと。

サウナにはテレビが付いていて、定期的にテレビに映る大家族スペシャルみたいな番組をやっていたような気がした。なぜそんな曖昧な書き方をするかといえば、筆者は眼鏡を外すと裸眼視力が0.1もないからだ。プールで泳ぐ時は度入りのゴーグルをかけているが、まさか銭湯にゴーグルを持っていくわけにもいかないし、個人的に入浴時に眼鏡はかけたくない。今までそれで困ったことはないが、唯一厄介なのはこの、テレビがさっぱり見えない問題くらいだ。あとはまぁ、高校時代に男女混合でプールの授業があった地元では珍しい学校だったくせに何も見えない思いをしたくらいだが、今となってはいい思い出だ。

テレビの話に戻ろう。大家族は、まるでそうしないといけない台本があるのかというくらいテンプレ通り過去に衝突があったり、家族の間に亀裂が入ったりしたらしい。今回はそれを乗り越え、久しぶりに家族揃って旅行に出かける話だった。宴席の場で、子どもたちが両親に向かって感謝の言葉やら何やらを述べる。それに対して父親がツッコミを入れたり、母親が昔話をしたり、そういう展開。台本云々はなんの根拠もない話だが、実際あの手の番組はある程度お涙頂戴的な着地点が用意されているのかなと、見ながらどこか違和感を覚えた。言葉でうまく表せないが、どことなく”作り物”感があるような、そんな印象を受けた。なんとなくいたたまれなくなって、その場を後にした。

筆者には妹と弟がいる。兄や姉は居ない。3人きょうだいの1番上。子どもの頃から、あまり喧嘩らしい喧嘩をしたことがなかった気がする。あるいは、テレビの向こう側の大家族に覚えた違和感の正体はそれだったのかもしれない。これは筆者の悪い癖なのだが、自分の知らないこと、体験していないことは実際そこにあるものだとしても、どこかフィクションのような、青春ドラマを見させられているような錯覚に陥ってしまうのだ。どうして喧嘩らしい喧嘩をしたことがなかったのかと考えた。たぶん、ウチは兄弟揃って基本的に人の話を聞かないから。換言すれば、信じられるのは自分だけという我の強さがあるから。人は人、我は我。たとえ親兄弟であっても根本的に理解出来ない部分はあるから、言うだけ無駄。そういう考えが(少なくとも筆者には)あるものだから、親の勧めは聞かなかったし、弟妹と意見をぶつけあわせて喧嘩するようなこともなかった……んだと思う。それが当たり前だと思っていたものだから、友人や知人が家族と喧嘩をしたという話を聞くと、度々理解に苦しむのであった。それが、今なお続いている。

 

正解のない問題

対外的にも”いい年”になってきたこともあって、周りからの「そろそろ結婚したらどうだ」という声が年々大きくなっている。もちろん筆者だって頑なに結婚したくない、と言うほど青くない。それは10年も前に通ってきた道だ。この年になって本気で三次元はクソ、二次元こそ至高、などと言うつもりは毛頭ない(まぁ二次元が好きなのは間違いないけど)。とはいえ、結婚に対して後ろ向きなのもまた事実なのだ(個人的に見向きもしなかったあの頃から見て後ろ向きではあるが向き合えているだけ成長したなと思うが、まぁそれは個人的な問題なので)。前向きに結婚したいと思う理由が今のところ見つからないと言ったほうが正しいのかもしれない。この人と結婚したいという相手が今現在いないからだと思っていたのだが、最近はそれすら怪しいと思い始めてきた。結婚と結婚相手に自分が何を求めるのかという問題なのだろうけど、答えが見つけられていないというのが現状としてある。

前にTwitterで書いたかこのブログで書いたかちょっと定かじゃないのだが、結婚に関して筆者はもっと手軽で気楽な物になればいいと思っている。一生に一度の盛大なイベントじゃなく、利害が合って互いにその方がいいなと思ったら気楽に結婚して、環境が変わったら気楽に離れてみたりして。結婚はあくまで本人同士の問題なのだから、家族や親戚は二の次三の次でいいと思っているし、親が反対してるからこの人と結婚できないみたいなのは本当にクソくらえだと思ってる。この価値観がついて回っているものだから、この価値観を共有できる人とじゃないと結婚できないだろうなと、自分に置き換えて思った。するとまぁ、そんな稀有な人はそうそう現れないなぁと。そのあたりの考え方が、きっと結婚に対して後ろ向き、というか悲観的になっている理由なのだろう。

他人と家族になる、家族を作るという正解の見えない物に対する漠然とした不安もあるのだろう。あと色々書いたけど冴えないクソオタはモテないという大前提があるからね。考えすぎと思われるかもしれないが、昔から勝てない勝負はしない性分なのでこればっかりはどうしようもない。そして、そんなことを言っているうちはまだまだ結婚なんてできないのだろうなぁと思いつつ、往年の名作エロゲー「家族計画」を久々に立ち上げるのであった。

 

そんなオチで大丈夫か?

 

大丈夫じゃない、問題だ。 

家 族 計 画(通常版) - PSP

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あ、KOTOKOさんの歌う主題歌は名曲オブ名曲だからこれだけでも覚えて帰って。

むしろ今日の記事これがメインまであるから。いや、まじで、ほんとに。


同じ空の下で KOTOKO (最高音質)

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