誰がなんと言おうと外国人(ただし自称)のケイトさん
田舎者としては外国人に話しかけられるともれなくキョドる
しばらく前に上京したときのこと。
具体的にはこの間の夏コミ終わりでのこと。
池袋のバスのりばに向かって急ぐ筆者を、ひとりの外国人男性が呼び止めました。
英語で何かをまくしたてる男性。おそらく何かに困っていた……らしいことはわかりました。でも、筆者の理解もそこまで。
自慢じゃありませんがこれでも一応センター試験の英語は自己採点7割強取った記憶があるし、名前だけではあっても大学出てるんですけどね、まぁーーーーー無理でした。
バスの乗車に間に合わないかもしれないという焦りもあって結局”知らない!”という感じだけ伝え、そそくさと逃げるようにしてその場を後にしたわけですが、こういうときほんっと学校の勉強なんざ役に立たねぇな……って痛感しちゃいますね。
っていうかクソ田舎に住んでると外国人に話しかけられた時点で軽くパニックだし、こちとら英語なんて話すことも聞くこともほとんどない身です。だからって今更英語を勉強しようっていう気概はないんですけどね。ま、必要に迫られたらガンバリマス。Excelはそんな感じで働き始めてからだいぶ覚えました。おかげで仕事サボる腕前だけは上がりましたね、ハイ。
もはや英語話せなくてもなんとかなる時代
実際問題、外国人と暮らすことになるとかそういう事態にでもならない限り外国語話せなくてもなんとかできちゃう時代が来ていたんだなぁと実感することがありまして。
それがポケトーク。
CMで見たことはあったんですが、この間たまたま使っている場面を目にする機会がありまして。
思った以上に砕けた日本語でもちゃんと翻訳してくれるんですね。
機械翻訳っていうとぶっ飛んだ翻訳になる、みたいなイメージが強かっただけにちょっと驚きの楽しい再翻訳世代。
2019年にFlashのリンクを貼る勇気
ポケトークがここまで実用できる段階にまで仕上がっていることを目の当たりにして思ったのは、あぁもう英語喋れなくてもいいかな、ということ。どっかの不登校小学生Youtuberじゃありませんが、リアルタイムの議論や討論でもしない限り、接客レベルであればポケトークやGoogleの翻訳でなんとかなっちゃうって言いたくなる気持ちがよくわかりました。
日本の英語教育は実用性がなくてダメだ、なんて話をよく聞きます。
確かにどんなに英語の成績が良くてもネイティブの人と会話を楽しめるかと言えばそんなことないです。むしろ、必死こいて英会話の勉強をする時間があったらネットやデバイスを用いた翻訳を駆使して文字のコミュニケーションを取ったり、機械を介して翻訳しながら会話をしたほうが手っ取り早いし、コスパもいいんですよね。
筆者は話題探しのために英字の記事に目を通したりしますが、ページまるごと翻訳にかけてなんとなくニュアンスだけ拾ってることが多いです。辞書片手にひとつの記事を1時間かけて完璧に読み解くなんてことしなくても、ニュアンスだけなんとなくわかればこっちはいいんです。同じ時間を使って別の記事を読んだほうが得られる情報量は多くなりますしね。
質の高い勉強を考えるよりも、いかに身の回りの便利アイテムを使いこなすかっていうのを考えたほうがこれからの時代いいのかもしれないですね。
まぁ、そういうラクばかり考えて生きてるとこういうブログしか書けないダメなおとなになるんですが……